日本代表で長年活躍した木村沙織
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 バレーボールの日本代表チームへの期待が高まっている。

【写真】日本男子バレー界を彩った「エース」といえばこの人

 女子チームは、1964年の東京五輪での金メダル獲得から「東洋の魔女」として世界を驚かせた後、1984年ロサンゼルス五輪での銅メダルを最後に低迷期が長く続いたが、2012年ロンドン五輪で3位となって28年ぶりのメダル獲得に沸いた。続くリオ五輪、東京五輪ではメダルに届かなかったが、現チームは6月のネイションズリーグで準優勝を飾り、今夏のパリでのメダル獲得へ向けて大きな自信を掴んだ。古賀紗理那が今大会を最後に現役引退を発表した中、過去の女子パレー日本代表のエースたちを振り返りたい。

 古くは「東洋の魔女」時代の攻撃の柱だった谷田絹子、目にも止まらぬ「ひかり攻撃」を繰り出した白井貴子、「ジュリスマイル」でファンを魅了した横山樹理などの名前が挙がるが、やはり最初に取り上げる日本女子バレーのエースは、左利きの大型アタッカー・大林素子だ。

 1967年6月15日生まれ。東京都出身で、八王子実践高校在学中に全日本に選出され、五輪3大会(ソウル、バルセロナ、アトランタ)に出場。身長185cmに長いリーチで最高到達点312cm誇り、ダイナミックなブロード攻撃は「モトコスペシャル」と呼ばれた。1980年代後半から90年代にかけて、“天才セッター”中田由美とのコンビプレーで多くのファンを魅了。1995年1月から日本人初のプロバレーボール選手として、イタリア・セリエAでプレーしたことも話題となった。

 アタッカーとしては小柄な身長173cmながら印象的な活躍を見せたのが、大懸郁久美だ。1976年1月1日生まれ。北海道出身で、旭川実業高校からNECレッドロケッツに入団し、1996年のアトランタ五輪にチーム最年少の20歳でメンバー入り。その後、大林からエースのバトンを受け継ぐと、わずかな隙間を鋭く射抜くスパイクに加えて、優れたサーブレシーブ力も武器にした万能型選手として全日本チームの中心選手として活躍した。シドニー五輪出場を逃した後、自身の故障も重なって一度はコートを離れたが、2004年のアテネ五輪最終予選でリベロとしてカムバック。五輪出場に貢献し、ファンに感動を与えた。

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