「日本の元気印」として愛されたエースが、高橋みゆきだ。1978年12月25日生まれ。山形県出身で、1997年にNECレッドロケッツに入団し、2000年に全日本に初選出。大懸よりも低い身長170cmながら優れた運動能力を持ち、背中に「SHIN」のネームが入ったユニフォーム姿で度胸満点のスパイクを放ち、コート内で抜群の存在感を発揮した。特にブロックアウトを奪い取る技術はピカイチ。ムードメーカーとしてもチームを盛り上げ、五輪2大会(アテネ、北京)に出場。海を渡り、セリエAでもエースとして活躍した実力派の選手だった。

「プリンセスメグ」こと栗原恵も、日本女子バレー界の歴代エースの一人に数えられる。1984年7月31日生まれ。広島県出身で、三田尻女子高校(現・誠英高校)1年時からエースとして高校3冠を達成し、高校3年時の2002年に全日本デビュー。身長187cmの高さ、しなやかなフォームからの強烈なスパイクに多くのファンが虜となり、2003年のW杯では、同じく19歳の大型アタッカー・大山加奈との“メグカナ”コンビとして人気を集めた。その後、五輪2大会(アテネ、北京)に出場して5位入賞に貢献した。眞鍋ジャパンが発足した2009年以降は怪我に苦しんだが、日本女子バレー界の新時代の幕開けを印象付けた可憐なエースだった。

 そして日本女子バレー復活の旗頭となったのが、木村沙織だった。1986年8月19日、埼玉県生まれ。成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)3年時に出場したアテネ五輪最終予選で活躍して「スーパー高校生」として一躍注目を集めると、全日本デビュー時にセッター登録であったことからも分かるように、185cmの高さに器用さを持ち合わせたオールラウンダーから絶対的エースへと成長し、五輪4大会(アテネ、北京、ロンドン、リオ)に出場した。東レアローズに加えてトルコでもプレーしたが、やはりキャリアのハイライトは2012年のロンドン五輪。全試合にフル出場した中で「ミラクルサオリン」の異名通りに勝負所での得点力が光り、全体のベストスコアラー部門3位にランクインする働きを見せ、日本の28年ぶりの銅メダル獲得の原動力となった。

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