まず、子どもの言葉を受けて、親は「どうしたの?」と先をうながしています。子どもの話を聞こうという姿勢が表れています。「ケンジにぶたれた」に対しては、「ケンカでもしたの?」と、ぶたれた理由を親が憶測したうえで質問しています。そして「僕は何もしていないのにぶたれた」という主張に対しては、「何もしないのにぶつはずはないでしょう」という親の判断を口にしています。

 そこには「ぶたれたのはケンカしたからだろう」「何もしないのにぶつはずはない」という、親の先入観や思い込みが感じられます。子どもの話を最後まで聞かず、途中でさえぎり、一方的な意味づけをしているのです。

子どもの訴えを封じてしまう可能性も

「何もしないのにぶつはずはない」という論理は一見、筋が通っているようにも思えます。しかし現実には「何もしないのにぶつ子」もいます。廊下ですれ違ったとたん、いきなりちょっかいを出してくる子もいます。子どもが「いじめ」を受け、親に訴えようとしている可能性も考えられます。

 もしそうだとしたら、親の不用意なひとことが子どもの訴えを封じてしまうことにもなりかねません。子どもは「何を言ってもわかってもらえない」と感じます。話をすることでかえって親から責められる経験が重なると、親の前では本音を口にしなくなるかもしれません。

 最後にこの親は「どうしてぶったのか、ケンジ君に聞いてみたらいい」と提案しています。子どもの問題に関して、親が解決策を提示しているのです。

 もちろん親は子どものためを思って助言するのでしょう。子どもを愛しているから、助けてあげたいから、「こうすればいい」「ああするほうがいい」と指導したくなるのです。しかしそれは、子どもが自分で考え、自分で解決する機会を奪ってしまうことにつながります。

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