平壌の戦い戦闘概要図
第1軍として第3、第5師団が朝鮮半島へと派遣された。敵の攻撃を受ける可能性がある仁川を避け、第3師団は元山から、第5師団は釜山から上陸して平壌を目指した。参考図書/『近代日本戦争史第1編 日清・日露戦争』(同台経済懇話会)
地図制作/アトリエ・プラン

 日本軍は緒戦で3方から平壌の外郭を攻撃するが、安山堡塁を攻めた主力軍は案の定、退却を余儀なくされた。長城理を攻撃した大島義昌率いる混成第9旅団も、130名の死者と400名の負傷者を出して撤退した。第10旅団(朔寧支隊)と歩兵第18連隊(元山支隊)が平壌の北にある堡塁と次々陥落させ、外郭の牡丹台や玄武門を占拠したとはいえ、数日では大城郭の平壌を落とせそうにない。補給がままならぬ第5師団にとっては危機的な状況だったが、士気の低い清軍が白旗を揚げて降伏、逃亡。こうして日本軍は、あっけなく平壌を手に入れた。

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