その際、案外難しいのが「ダメになった」という判断基準である。いや難しいというより、それはどのようにでもクリエイトできるのである。例えば、皿は割れてもハーフサイズの皿とみなすこともできる。鍋の取っ手が取れても鍋つかみを使えば立派な鍋である。
多少元の形状が崩れても「まだまだいけるはず」と信じ、身近なものに修理や工夫で長く活躍してもらう行為は、既に老眼が相当進み脳の働きも衰え、これからももっといろんなものがダメになっていくであろう自分とどう付き合っていくのかという大問題と、かなり繋がっている気がする。そう思うと、あのままアホな消費生活をダラダラ続けていなくて本当に助かったと思わずにはいられない。
で、この調子でいくと、人生で使うカバンは多くとも五つくらいってことになる。心を入れて付き合わねばですね。
※AERA 2024年7月1日号