海外でも高い評価を受ける女子プロレスラーの豊田真奈美
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 日本人女子レスラーたちの海外での評価は非常に高いものが多い。米国を舞台に現在進行形で活躍する者もいれば、記憶に残り続けるレジェンドたちもいる。

【写真】ダイエットに成功してスリムになったブル中野さん

 ブル中野が世界最大のプロレス団体WWEのホール・オブ・フェイム(殿堂)入りを果たしたことが話題となった。4月5日(日本時間6日)、フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターで殿堂入り式典が行われ世界中から称賛を受けた。

「ブル中野の殿堂入りは誰もが納得、『遅すぎた』という人も多いくらい。技術、試合内容などの全てで強烈な印象を残したレスラーだった。引退して時間が経つが、名勝負の数々は色褪せない」(元プロレス雑誌編集者)

 ブル中野は1983年に全日本女子プロレス(=全女)でデビュー、1990年にWWWA世界シングル王座を獲得する。1993年からはWWF(現WWE)へ参戦、1994年に日本人初となるWWF世界女子王座(当時)を奪取。1997年に現役を引退(2012年に引退興行)した。

 WWF、日本、メキシコCMLLでも王者になり、当時WWFとの二大勢力だったWCWでも活躍。WWE・CCOのトリプルHも自身X(旧ツイッター)で「史上最高の女子レスラーの1人であるだけではなく、史上最高のレスラーの1人」と述べたほどだ。

 そして、ブル中野以外にも海外で評価されている女子レスラーも少なくない。

「ブル中野より前にタイトル奪取した選手がいたのを忘れてはいけない。JBエンジェルス(山崎五紀&立野記代)は1988年にWWF世界女子タッグ王者になった。女子タッグが今ほど認知されていない時代だったが信じられない快挙だった」(在米スポーツライター)

 山崎五紀、立野記代の2人は1986年に全女でWWWA世界タッグ王座を獲得後に、JBエンジェルス(ジャンピング・ボム・エンジェルス)と命名。1987年からWWF参戦、翌年の第1回ロイヤルランブルで王者となった。同団体への参戦は6カ月ほどだったが米国内では今でも有名なコンビだ。

「近年のWWEマットではアスカ、カイリ・セイン、イヨ・スカイなどの日本人女子レスラーが普通にファイトしている。配信中継などの発達で世界中に多くのファンを獲得、同団体を代表するレスラーになった」(元プロレス雑誌編集者)

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