母の、彼女自身と私の幸せのための努力が、全く報われていない気がして虚しかった。でも当時の私には優しい言葉を返す強さがなくて、「私なんていない方が、お母さんは幸せだったかもしれないね」と、ずっと私の体内で渦巻いていたものを吐いてしまった。
そのときに久しぶりに殴られた右頬は、人生で一番酷く痛んだ。数時間後には赤みも引いたけれど、あのときのビリビリとした痛みは今でも体と心に刻まれている。無いものばかりに目がいくところこそが私の「弱さ」だと、そのときに初めて気がついた。
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「母である」ということ、「母の子である」ということは、ときに誇りであり、ときに呪いにもなる。母という呪縛は彼女を追い詰めていただろうし、子という呪縛は私の心を打ちのめしていた。大学生になってあの頃より何倍も世界が見えるようになったいま、私はやっと「母」というフィルターをかけず、一人の女性として彼女を見られるようになった。
互いの「弱さ」とその加害性を知ってから、彼女は私にとって母でもあり、親友のようにも思える。私のような手のかかる子を根気強く育て、仕事や夫の愚痴を吐きながらも楽しげに生きている彼女はやはり、美しくて強い。
「AERA dot.」鎌田倫子編集長から
美しいショートストーリーのようなエッセイでした。
母親はなぜ娘に「呪い」をかけるんでしょうね。
大なり、小なり、女親に幼少期にかけられた言葉に縛られている女性は多いと思います。もちろん個人個人のストーリーは違うのですが、梯子さんのエッセイに共感できるのは「真実」が書かれているからでしょう。「呪い」を発酵させて自家中毒に陥るのか、呪いの言葉とさよならするのか。後者を選択した梯子さん。その後の人生についてもいつか書いてほしいですね。