だが、久保田は「記録は関係ないです」とキッパリ。記録更新よりも、右手首骨折で2カ月離脱した前年の分も併せてチームに貢献したい気持ちが強かったからだ。
9月に入っても、久保田は連日マウンドに上がりつづける。同6日の横浜戦では、7回の全11球中10球までが直球で、すべて150キロ台。2イニングを無失点に抑え、チームの7連勝に貢献した鉄腕は「休みは要らないです。チームが勝ってくれればね」と語気を強めた。
9月7日の巨人戦では、2点リードの8回に李承燁、二岡智宏に連続弾を浴び、同点を許すも、9回に代打・桧山進次郎の決勝ソロが飛び出し、勝利投手に。「桧山さんのお蔭です」と感謝した。翌8日の巨人戦も1点リードの8回を安打と四球の走者を背負いながらも無失点で踏ん張り、守護神・藤川にリレー。阪神は怒涛の9連勝で、ついにシーズン初の単独首位に立った。
だが、9月14日の中日戦、4対3の7回に藤川と並ぶシーズン80試合目のマウンドに上がった久保田は、ウッズに逆転2ランを被弾。試合も5対7で敗れ、記録に花を添えることができなかった。
そして、前人未到の81試合目となった翌15日の中日戦、前日のリベンジを期して2点リードの7回に登板した久保田は、安打と四球で1死一、二塁のピンチを招くも、井端弘和を152キロ外角直球で二ゴロ併殺に打ち取り、史上初の快挙を勝利で飾った。
それでも久保田は「自分が記録を達成できたのはうれしいけど、恥じるような数字なんで……。球児が達成したときより防御率が悪いし(05年の藤川は1.36、久保田は9月15日の時点で1.96)、明らかに劣っている。昨日みたいなこともあるし、チームに申し訳ない」と反省の言葉に終始した。
翌16日、中日に0対7と完敗し、首位の座を明け渡した阪神は、以後、息切れしたかのように勢いを失い、9月19日の巨人戦から8連敗してV戦線から脱落した。
この間、久保田は3連敗中の9月23日のヤクルト戦で、「何とかなりそうな点差だったんでね」と0対1の6回から2イニング投げるなど、1カ月で16試合に登板したが、悪い流れを変えることができなかった。