勝海舟の父である小吉(隠居名は夢酔)は、剣術の名人ながら無役の御家人で、江戸の本所で貧乏暮らし。まるで時代小説の主人公だが、実際、子母沢寛の小説『おとこ鷹』『父子鷹』のモデルで、本書はその種本だ。
勝小吉の回想は、破天荒エピソードの連続で、読者としては驚いたり、あきれたり、ほろりとしたり。まことに痛快極まりない。
子どもの頃から武芸には励んだが、学問は大の苦手。母のへそくりをちょろまかしては遊び歩き、上方目指して家出をし、大人になってからの喧嘩は刀を抜いての刃傷沙汰もしばしば。女遊びも相当で、ある女に惚れたときは、自分の妻に相談し「私が死んででも貰って来てあげる」というので、任せて遊びに出る始末。
ただしこの時は、行く先々で占師から女難の相を言い立てられて改心し、妻のもとに戻った。たぶん占師は奥さんの仕込みだろうが、小吉は騙されたのか、気付いてとぼけているのか。
好きなものを食べ、貧乏ながらおしゃれでもあり、やりたい放題。一応、若い頃のあれこれを反省して、「決而おれが真似をばしないがいい。孫やひこが出来たらば、よくよくこの書物を見せて、身のいましめにするがいい」と書いているが、全編これ、わるさ自慢にしか見えない。子孫に訓戒垂れるなよ。
それでも人情に厚く、頼まれたら他人のために一肌脱ぎ、それが喧嘩騒動などで公儀のお咎めを受ける原因だった。堪え性はないが一本筋が通っている。こういうのが、魅力なんだろうなと納得(でも女の件はアウトでしょ)。
小吉は何度も、自分は学問がないと述べている。たしかに漢籍詩歌には疎いようで、本書も仮名が多い。しかし思いの丈をありのままに記すその筆は、現代人にもすんなり読める躍動的な文体で、江戸時代にこんな文章があったなら、明治の言文一致運動は何だったんだと思えてくる。やっぱり鳶が鷹ではなくて、父子鷹だ。
※週刊朝日 2015年12月25日号