青木冨貴子とピート・ハミル。写真はDeirdre Hamill

 勤めていた出版社を休職して、コロンビア大学のジャーナリズムスクールにいた92年から93年にかけて、私の指導教授が、当時マンハッタンでしのぎをけずっていたタブロイド紙三紙のうちのひとつニューヨーク・ニューズデイの記者だったこともあったが、このニューヨーク・ニューズデイが、95年に廃刊になった時、正月休みを利用して渡米、「なぜニューヨーク・ニューズデイ紙は廃刊したのか」を取材し、その中で知り合った記者ジム・ドワイヤーに惚れてしまったことが大きい。

 タブロイド紙は、日本の週刊誌のような存在と考えるとわかりやすい。たとえば、私がコロンビア大学にいた92年から93年にかけてタブロイド紙にとっての大きなニュースは、17歳の少女エイミー・フィッシャーが不倫相手の妻の顔面を銃で撃った事件だったりした。

 これをフロントページにでかでかと載せる。誤解を恐れずに言えば、スキャンダリズムを信条とするイエロー・ペーパーだ。

 が、一方で、タブロイド紙には、ニューヨーク・タイムズ紙にはない珠玉のコラムが才能溢れるコラムニストたちの手によって毎日掲載されていた。

 ピート・ハミルは、デイリー・ニューズの日曜版に掲載した彼のコラムを『ニューヨーク・スケッチブック』(原題はThe Invisible City: A New York Sketchbook)にまとめているが、その前書きにこんなことを書いている。

〈私は戦争やリチャード・ニクソンに対して棍棒をふるうかたわら、よりささやかな物語をも書きはじめた〉

〈マーティン・ルーサー・キングが虫の息でモーテルのバルコニーに倒れていたとき、同じメンフィスには、日なたで車を洗いながら妻の浮気に心を痛めていた男もいたのである。ニューアークのビルの屋上から銃弾が発射されていたとき、同じ街の向こう側では若い娘が中年の男と恋に陥っていたのだ〉

 硬派のニュースではこぼれ落ちてしまう、人々の生活の中にある喜びや哀しみを描くそんなコラムがタブロイド紙には掲載されていた。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ニューヨーク

 ジム・ドワイヤーも「地下鉄の中で」というコラムをニューヨーク・ニューズデイ紙に連載していた人物だった。何回か電話で取材をしたあと、96年の7月11日にニューヨークのセントラルパークの南端に位置するパークレーン・ホテルで会ったが、才能あふれるだけでなく、思いやりに溢れる未来志向の男だった。

 シドニー・シャンバーグという映画「キリング・フィールド」の主人公のモデルになった元ニューヨーク・タイムズの記者が、廃刊の内幕物を発表していたが、読んでいて気持ちのいいものではなかった。いかに組織が無能で記者が敗北感に満ちていたかを強調するものだったが、そのシャンバーグの記事について聞くと、ドワイヤーはこう言ったのだった。

「シャンバーグの記事は僕も読んだ。どうしても納得できない点があった。廃刊が発表された日、記者たちは哀しみにくれて酔いつぶれていたという記述だ。これは事実と違う。自分はまだテニスで言うステイインザポイントにいると思った。まだ新聞を救う手がある。こう皆に言って投資銀行家に電話をし、政治家に連絡をし、この素晴らしい新聞を救ってもらえるようすぐに活動を始めた。その時シドニーはどこにいたか、何百マイルも離れたところにいたじゃないか」

 青木さんの本の中でも、ピート・ハミルが、〈後輩が読んでくれといってきたものには必ず目を通し、(中略)新人記者が署名原稿を初めて書くと、それがどれほど後ろのページで小さなものであっても必ず読んで「おめでとう!」〉と連絡をいれていた話が出てくる。

 ちなみにピート・ハミルの人の良さは私の勤めていた前の会社でも有名で、自分の息子がアメリカの大学に入学したいからと推薦文を青木さんを通じて頼んでいた編集者もいた。

 その青年のことも知らずに推薦文などかけるわけないと直接の担当者は憤慨したが、ピート・ハミルは黙って推薦文を書いた。

 ピートもジムもアイルランド系だからそんな底抜けの人の良さがあるのだろうか?

 こうした性格は、エスタブリッシュメントではないタブロイド紙の記者だったから形成されたものなのだろうか?

 ジム・ドワイヤーは、2001年にワールドトレードセンターが崩壊して多くの犠牲者を出す4カ月前にデイリー・ニューズからニューヨーク・タイムズに移り、この悲劇について精力的に報道、本を書き、07年からはタイムズでもコラムを書くようになった。

 今回、青木さんは「ジム・ドワイヤーも亡くなって本当に寂しくなりました」とメールで書いてきたが、ジム・ドワイヤーは、2020年に肺がんで亡くなっていた。不覚にもそのことを私は知らなかった。

 私がニューヨークにいた1990年代当時、デイリー・ニューズの部数は80万部。それが今では4万5730部。あのタブロイド紙の世界は消え去ろうとしている。

 しかし、かつてはあったのだ。

 ピート・ハミルやジム・ドワイヤーが、怒り泣きそして笑った熱いタブロイド紙の世界が──。

AERA 2024年6月3日号

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。標準療法以降のがんの治療法の開発史『がん征服』(新潮社)が発売になった。元上智大新聞学科非常勤講師。

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