鈴木百合子(すずき・ゆりこ) 羽場こうじ茶屋「くらを」店主。1973年秋田県横田市増田町生まれ。羽場こうじ店を営む両親の次女として育つ。スポーツ関連の会社勤務を経て、2010年に夫と息子の家族3人で増田町に戻り、2013年に羽場こうじ茶屋「くらを」をオープン
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 秋田県横手市にある大正7年創業の「羽場こうじ店」に4人きょうだいの次女として生まれた鈴木百合子さん。いまは、羽場こうじ店で作られた味噌や塩麹、甘さけなどを使った料理を提供する「羽場こうじ茶屋『くらを』」を切り盛りしている。

 学生時代はアルペンスキーの選手としてならし、短大卒業後はスポーツ関連の会社でバリバリ働いていたが、無理がたたって体調を崩した。その、疲れ切った体を癒してくれたのが、羽場こうじ店の味噌で母が作ってくれた一杯の味噌汁。それがきっかけて、こうじ店で働き始め、2013年に「くらを」をオープン。10年を経た2024年、初のレシピ集『おいしい発酵レシピ いつもの台所に麹のある暮らし』を上梓した。

 鈴木さんは本の冒頭で、「くらを」に込めた思いと「麹のある暮らし」について語っている。引用しつつ、基本の味噌汁の作り方と共に紹介したい。

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 仕事の合間に愛車を走らせ、少しだけ息抜きをする場所があります。誰にも教えていない私だけの秘密の場所。そこに立つと「私はお米がたくさんとれて、真っ赤なりんごがなる土地に生まれたんだな」って思います。お米とりんご、それはまさに私の大好きなもので、私の体を作ってくれるもの。そして、この里の景色を作っているもの。

 十数年前に人生の大ピンチを迎えました。高校時代、私はスキー一筋、秋田を離れて就職したのもスポーツ関係の仕事で、ハードでしたが、しんどいというよりは猛烈に走っていました。体に不調を感じ、ある病気が見つかったのですが、いっこうによくならない。お医者さんに症状を訴えてもなかなか伝わらない。そしてやっぱりよくならない。悪循環のなかで私はすっかり寝込んでしまうほど落ちてしまいました。

 夫が見るに見かねて「秋田に家族で帰ろう」と、自分も仕事を辞め、当時小学生だった息子を連れて、家族3人で実家のある秋田に戻ったのです。正直その頃の記憶はあまりありません。実家に戻った私は、母が作ったきのこの味噌汁を口にします。味噌汁は私の体にじーんとしみ込んでいきました。私は息を吹き返したようでした。「一杯の味噌汁」、私に必要なものはこれだったのだと確信しました。

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「味噌汁の包容力」を実感