その時、室内にあるスピーカーから女性の声が聞こえた。「報道陣の皆さんから抗議があったと聞きました。私自身、ロサンゼルス・タイムズ紙の記者だったので、メディアの方たちの気持ちはとてもよくわかります。今回の措置は、セキュリティー担当の係員が安全上の理由で決断したことで、私が決断したことではありません。ごめんなさい。あなたたちが、はっきり聞こえるように話しますから」
ローゼンブルース判事の発言内容と、セキュリティー係員たちの発言は、真っ向から対立していた。つまり、どちらかが嘘をついているわけだ。
だが、たとえどちらかが嘘をついていたとしても、担当判事の権限で、今から記者たちを法廷内に入室させることは可能なはずだ。ほんの2、3分あれば隣の640号法廷に全員が移動できる。これだけ全米の注目が高い事件を扱っているという自覚が判事と裁判所にどのぐらいあるのか、それが試される時だ。私たちは耳を澄ました。
だが、判事はそのまま続けて罪状認否の審理に入った。
スピーカーを通して「ノット・ギルティー」という水原氏の声が聞こえた。
形式的であれ「無罪」という言葉をどんな表情で被告席の水原氏は口にしたのか。その光景を報道できる者は誰も存在しない。
法廷内のスケッチを専門とする画家だけが特別に法廷に入室を許されていた以外は。
5分足らずの罪状認否が終わると、みんな一斉に部屋を出た。エレベーターに向かって歩いてきた水原氏は、球場で大谷選手とキャッチボールをしていたときよりも背が高く見えた。エレベーターの中で記者にぐるっと囲まれても、水原氏はまっすぐ扉の方を見つめていた。その表情からは、感情が読み取れなかった。
満員のエレベーターの扉が閉まるのを目の前で見ながら、私たちはすぐ隣のエレベーターに飛び乗って、1階に降りた。
数十人の記者たちやテレビカメラに囲まれながら、何も答えず、顔をまっすぐ上げて弁護士と共に歩いていく水原氏。
その姿を見て、世界中で、彼より“報道陣慣れ”している被告人は恐らく存在しないだろうな、と感じた。
大谷選手を追いかける報道陣を目にするのが「日常茶飯事」だった彼にとっては、大スターの発言を日々通訳することが仕事で、自分のことを語らないことも日常だったはずだ。つまり、この大騒ぎも彼にとっては実はこちらが考えるほど「異様」なことではないのかもしれない。無言で車に乗り込み、あっという間に去っていった。
地元のテレビ局の記者たちは「あの判事、嘘をついていると思う。一介のセキュリティー係員に報道陣を閉め出す決定権があるとはとても思えないし」と語った。