多くの妻を娶り、ハーレムのようにも思える平安時代の天皇。しかし、その内情は気楽なものではなかったそう。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し、紹介する。
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後宮(こうきゅう)における天皇、きさきたちの愛し方
平安時代の天皇は一夫多妻制である。これを私たちは「英雄色を好む」と受け取りやすい。権力があるから次々ときさきたちを娶って、よりどりみどりで相手をさせているのだろうと。確かに平安時代、特にその初頭には、きさきの数は非常に多かった。例えば大同四(八〇九)年から弘仁十四(八二三)年にかけて天皇の位にあり、譲位後は嵯峨野(さがの)で高雅な上皇生活を送った嵯峨(さが)天皇(七八六~八四二)には、名前が判明するだけで二十九人ものきさきがいた。これを聞くと「平安時代の天皇になってみたい」と、ひそかに思う男性もいるかもしれない。しかし、それは思い違いだ。平安時代の天皇の結婚は、欲望を満たすのが目的ではない。確実に跡継ぎを残すこと、一夫多妻制はそのための制度だった。嵯峨天皇もさすがに子だくさんで、男子二十二人女子二十七人を数える。子どもの名前が覚えきれたのだろうかと、冗談のような心配さえ浮かんでしまう。