紫式部日記絵巻(模本)、出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-8375?locale=ja)
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 多くの妻を娶り、ハーレムのようにも思える平安時代の天皇。しかし、その内情は気楽なものではなかったそう。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し、紹介する。

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後宮(こうきゅう)における天皇、きさきたちの愛し方

 平安時代の天皇は一夫多妻制である。これを私たちは「英雄色を好む」と受け取りやすい。権力があるから次々ときさきたちを娶って、よりどりみどりで相手をさせているのだろうと。確かに平安時代、特にその初頭には、きさきの数は非常に多かった。例えば大同四(八〇九)年から弘仁十四(八二三)年にかけて天皇の位にあり、譲位後は嵯峨野(さがの)で高雅な上皇生活を送った嵯峨(さが)天皇(七八六~八四二)には、名前が判明するだけで二十九人ものきさきがいた。これを聞くと「平安時代の天皇になってみたい」と、ひそかに思う男性もいるかもしれない。しかし、それは思い違いだ。平安時代の天皇の結婚は、欲望を満たすのが目的ではない。確実に跡継ぎを残すこと、一夫多妻制はそのための制度だった。嵯峨天皇もさすがに子だくさんで、男子二十二人女子二十七人を数える。子どもの名前が覚えきれたのだろうかと、冗談のような心配さえ浮かんでしまう。

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山本淳子

山本淳子

山本淳子(やまもと・じゅんこ) 1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都先端科学大学人文学部教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。15年、『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)で第3回古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。選定委員に「登場人物たちの背景にある社会について、歴史学的にみて的確で、(中略)読者に源氏物語を読みたくなるきっかけを与える」と評された。17年、『枕草子のたくらみ』(朝日選書)を出版。各メディアで平安文学を解説。近著に『道長ものがたり』(朝日選書)など著書多数。

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