施設には四つほどの棟があり、内部の監房も収容者の凶悪度によってレベル分けされていた。吉田氏は老年の囚人たちがチェスに興じる平和な雑居房に入れられた。しかし2週間後、刑務所側の手違いによって、なぜか凶悪度トップクラスの房へ移ることに。
多くの凶悪犯を抱え、“スーパーマックス”(スーパーマキシマムセキュリティーのこと)と呼ばれる最高警備レベルの施設だ。顔中びっしりとピエロ風のタトゥーを施し、「頬の涙模様は殺したヤツの数だけ入っている」とのたまうような、「クレージー」な同居人たちとの生活が幕を開けた。
吉田氏は、当時の生活についてこう振り返る。
「日本の懲役刑と違ってアメリカは禁固刑で、法的には刑務作業が強制されないので、時間を持て余した囚人たちはみんな筋トレに励んでいました。寝床は2段ベッドの上段と下段の間に無理やり1段つけた3段ベッドだし、食事に出るシチューは吐き気がする味だし、環境は最悪ですけど、一番苦労したのは房内での人間関係でした」
縄張りは絶対に侵してはいけない
吉田氏がいた房は、本来は定員30人ほどにもかかわらず70人前後が収容された大部屋。荒くれ者たちの間では人種の違いがケンカの種になるため、白人(約10人)/ヒスパニック系(約50人)/黒人・その他(約10人)という3グループに分かれて生活圏を形成していた。刑務所内の全収容者約7千人のうち唯一の日本人だったという吉田氏は、黒人・その他グループに招き入れられた。
「黒人たちは仲間意識がすごく強くて、自分のこともすぐに受け入れて守ってくれました。でも他の人種の縄張りは絶対に侵してはいけない。もし黒人系が使うシャワールームやトイレをヒスパニック系が使ったらたたき殺されるし、食事場所を通りすぎてもダメです」
日本と違って、囚人同士でトラブルが起きても刑務官は関与しない。代わりに房内の秩序を守るのが、各グループに1人ずついる長老たちだ。もめ事が起きると、「お前のところの新入りがイキがって、うちの連中とケンカになってるからシメていいか?」「いや、本人と話をするからちょっと待て」「あいつはいいぞ、ヤってくれ」などと3人で話し合う。