毎日毎日、不安と焦りが蓄積されていった私は、息子の寝ている部屋に踏み込んで、「いいかげんにして!学校に行きなさい!」とつかみかかったのです。息子が全く学校行けなくなり、あと少しでいよいよ出席日数が足りなくなるというタイミングでした。突然の行動に、息子は驚いたような表情を浮かべ、最初は私をかわそうとしました。私はもう興奮状態ですから、必死に「ねえ!行きなさいよ!学校に行きなさい!」と叫びながら、息子に向かっていくばかり。息子は冷静な表情になって、興奮してつかみかかってくる私に「落ち着け!」「大丈夫だから落ち着けよ!」と繰り返しました。

 母親を止めようと、必死に冷静さを保とうとする息子の姿を目の当たりにして、私はわれに返りました。何をやっているんだろう、と。息子が不登校になって、取り乱して、世間体を気にして、息子の気持ちというよりも自分が人からどう思われるか、学校の先生にどう思われるか、そればかり気にしていたことに気がついたのです。

 一番しんどいのは息子だ……。初めて、冷静に「わが子の不登校」と向き合えた瞬間でした。

 そこからは、息子に寄り添うと決め、不登校と向き合うようになりました。不登校について調べたり、不登校のイベントに出かけたり。息子を連れて、サラリーマンとは違ういろいろな大人に会いに行き、いろいろな仕事があるんだよということを知ってもらおうと試みたりもしました。

 会ってくれた大人はみんな、「学校行けてないんだね、うん、別にいいんじゃない?」「俺も昔、学校行ってなかったときあったよ」「学校だけが居場所じゃないから大丈夫」と優しく声をかけてくれて、息子も少しずつ元気を取り戻していきました。そして一度は学校に戻れたのですが、結局は続かずに退学。本人の希望で通信制高校に転校し、何とか高校を卒業しました。

 その後、専門学校に入学しましたが、1カ月でまた不登校に……。私はもう、以前のような過ちを繰り返したくなかったので、現実を受け入れて、休学することにしました。しかしこれが、本格的な引きこもり生活の始まりだったのです。

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「声掛け」で変わった