連絡先を自分のメールに変更

 社会保障番号もセキュリティー質問もスラスラと一発で正しく答え、かつ、感じがいい客の口座が凍結されていたら、解除しない理由は、とりあえずないだろう。そして解除した後、行員はこう言ったはずだ。

「今日の私のサービスをお客さまに採点していただくアンケートをお送りしてもいいですか? 念のため、お客さまのメールアドレスを教えていただけますか?」と。

 そしてこれが最後のハードルだ。

 訴状によれば、水原氏は、大谷選手の口座の連絡先として自分の電話番号と、匿名のgmailアドレスを登録していたという。

訴状には、水原氏は2021年9月から違法賭博の胴元を通して賭けにはまり始め、年末にかけて大きく負け続けて借金が膨らんだとあり、この時期、つまり2021年の9月から12月末の間のどこかで、銀行口座の連絡先の電話番号とメールアドレスを大谷選手のものから自分のものに変更したと銀行の記録にあった、とある。

 さらに、このgmailアドレスは、大谷選手が使っている本物のメールアドレスと「フォーマットと数字が似ている」という。

 英文字と数字の並びが酷似していて、ぱっと見には同じに見えるように工夫したのだろう。

 メールアドレスの確認という最後のハードルを無事に越えながら、ほっとした水原氏はこう答えたかもしれない。

「もちろんですよ。本当に助かりました。アンケートには満点の10点を付けておきますね」と。

 終身雇用など存在しないアメリカで、銀行ヒエラルキーの下層で働くカスタマーサービスの行員たちにとって「客のアンケートの評価点」の威力は極めて大きい。客から10点満点の評価を得た行員は、上司にも評価されやすい。

 一方、凍結の判断を下し犯罪を未然に防いだ最初の行員には水原氏は「1点」もしくは「0点」の評価をつけたかもしれない。低評価がついた行員は正しいことをしたのに報われないばかりか、その評価が仇(あだ)となって失職する可能性もゼロではない。

 結局、凍結が解除された後の2月4日ごろには、水原氏は銀行Aの3人目の行員と電話で話し、新規の30万ドルの送金のためのチェックと確認を受けている。

 用意周到に嘘をつき通してきた水原氏の唯一の計算ミスは、大谷選手になりすましたこれらの会話の一部始終が、銀行によって録音されていたことだ。

「お客さまとの会話は録音されている可能性があります」という毎回必ず流れる機械音声のフレーズは、それ自体がすでに全ての客にとって定番のBGMと化してしまっており、うっかり聞き流していたのかもしれない。

 芸術的な嘘のテクニックと、この上なくナイスな性格。

 最強なはずのこの2つのコラボが破綻した。

社会保障番号を奪われる恐怖

 だが、大谷選手にとってのホラーはまだ終わっていない。

 水原氏が大谷選手の社会保障番号を暗記している可能性があるからだ。

 暗記していれば、いつか将来、それを使ってみたいという誘惑に駆られるかもしれない。

 社会保障番号があれば、アメリカでは不動産購入が可能で、ローンも組め、クレジットカードも簡単に作れる。筆者もかつてID窃盗の被害に遭った経験があるが、知らないうちに勝手にストア・クレジットカードを作られ、AT&Tの電話を設置され、ネットで大量の衣類を購入されていた。

 幸い、犯人が使った下4桁の番号の組み合わせが微妙に違っていたことが判明し、犯罪だと証明できたが、もしそっくり9桁そのままを盗まれていたら、ローンを組まれていたかもしれないし、何より、他人が自分の番号を持っていたら、自分を自分だと証明できない可能性がある。

 さらにアンダーグラウンドで社会保障番号が売買される犯罪がカリフォルニア州では特に多い。

 一部の特例を除いて、社会保障番号は生涯変更できないが、大谷選手のケースは、この特例に当てはまるかもしれない。

 塀の中でこの番号が流通する前に、手を打った方がいいかもしれない。

(ジャーナリスト・長野美穂=ロサンゼルス)

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