友人の理解不能な考えに耐えられるか

 彼女にとって不倫をしている子は「友人たちが協力して更生させてあげなくてはならない、道を外れてしまった人」であって、何度か私も、一緒に説得すべき、このまま放っておくわけにはいかない、目覚めさせてあげないといけない、そうでなければ共犯のようになるから友人でいるわけにはいかない、というようなことを持ち掛けられました。

 彼女は友人だからこそ、不幸の沼の淵にいる友達を放っておいてはいけない、という善意でそう言っていたのだと思います。彼女のような友人を、友達思いと言うのかもしれません。ただ、私は彼女が自分の正しいと思うことと不倫中の女友達が良しとすることを闘わせず、一方的に助けてあげる側/助けられる側の立場を固定していることが気になり、不倫中の子ではなく彼女の方とやや疎遠になりました。

 信じている正義があることは尊いことだと思います。ただ、その正義を家族や恋人のみならず、友人や知人にも押しつけるのであれば話は別。その場合、自分にとって正しいと思えることが間違っているかもしれない、今正しく見える光景が数年後にはまったく違って見えるかもしれないという目を持っていない気がするからです。

 だから私の個人的な友人論として、どんな信仰でも政治的な信条でも、何にハマっていて何を軽蔑していても、誰かと友人になれるチャンスはあるけど、最低限、「友人が自分にとって理解不能な考えを持っていることに耐えられる人」「隣にいる人と自分が別の好みを持っていることに耐えられる人」でなくては、結局その関係は破綻してしまうと考えています。

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