選手の引き抜きなどもあり、メインイベントをだれにするかが決まらず、TBSではその年の大みそかはもう格闘技をやらなくていいかな、という雰囲気になっていました。悔しいから、何かTBSが納得するものを持っていきたいと思って」
そのときに谷川さんが思い浮かべたのが、曙さんだった。
「アポなしで福岡県にいた曙さんに会いに行ったんです。それが03年の10月終わりか11月初めごろだったと思います。大みそかに『K-1』の番組を編成するにはギリギリのタイミングでした」
谷川さんは早朝、福岡県の曙さんが親方を務める部屋の朝稽古に向かった。
「宿舎の前で曙さんの携帯電話にかけたんです。曙さんが『谷川さん、久しぶりです。何ですか』と聞いてきて、私は『実は今、宿舎の外にいるんです。申し訳ないけど、ちょっと出て来てくれませんか』と頼んだら、曙さんは『稽古が終わったら』と言って、しばらくすると出て来てくれたんですよ。その時すぐに、『大みそかにボブ・サップとやりませんか』と申し込みました」
「奥さん以外の人とは相談しないでください」
突然の出場依頼でもあり、怒られて断られるとも思っていたという谷川さんだったが、
「意外なことに、曙さんは『ボブ・サップですかぁ』と興味を持った答え方をしてきました。内心これはいけると思いました」
谷川さんは、
「契約書もあります。詳しく説明しますので、今夜いかがですか」
と曙さんを食事に誘うと、OKしてくれた。
食事の席で谷川さんは、
「第二の人生を応援していきますから決断してください。奥さんとは相談してほしいけれど、それ以外の人とはしないでください。親方自身が決めてください」
と説得したという。
「周囲に相談したら、きっと反対されるだろうと思ったからです。曙さんはその日に決断してくれました」
曙さんに承諾してもらった谷川さんは、すぐに日本相撲協会から退職するための手続きについて調べた。大みそかまで時間がなく、急いで進めた。
「数日後には東京へ帰ってもらい、契約書にサインしてもらいました。日本相撲協会には退職願を出してもらって、その翌日にはボブ・サップと電撃記者会見を開きました。反響は大きかったです。契約は複数試合。単発ではなく、何回か試合をやってもらう形で、ファイトマネーは億単位でした」