メジャー仕込みの守備は、打球を捕ってから投げるまでの動作が飛び抜けて早く、名二塁手・高木守道をも「とても真似できない」と唸らせたほどだった。
だが、「守備は一流だが、打撃は……」と首脳陣も顔を曇らせたように、外国人らしいパワーが感じられず、前のめりのフォームからチョコンと当てるという不器用なもの。1年目は打率.174、3本塁打、28打点。対戦する投手たちは“安全パイ”バートに打順が回ってくると、ホッとひと息ついたという話も伝わっている。2年目も首がつながったものの、年俸は560万円から500万円にダウンした。
ところが、翌72年、開幕からバートのバットが突然火を噴きはじめる。4月9日の開幕戦、阪神とのダブルヘッダー第1試合、バートは2対0の4回に古沢憲司から勝利を決定づける左越え3ラン。さらに第2試合でも2対2の9回に江夏豊から値千金のサヨナラ満塁弾と“恐怖の8番打者”ぶりを発揮。開幕から8試合で3本塁打、11打点をマークした。
日本の投手に慣れた同年は12本塁打、チーム3位の51打点と打撃でもそこそこ結果を出したものの、打率は.191と2年連続2割切り。助っ人史上初の遊撃手のダイヤモンドグラブ賞(現在でもバートだけ)も残留の決め手とならず、わずか2年で日本を去った。
1970年代後半に阪急の右翼手を務めたバーニー・ウイリアムスは、打率は毎年2割5分前後、本塁打も在籍6年で96本と打つほうは今ひとつながら、俊足と強肩を生かした好守備で、76年と78年にダイヤモンドグラブ賞を受賞。福本豊、大熊忠義(後に蓑田浩二)とともに鉄壁の外野トリオを構成し、3年連続日本一になったチームを支えた。
83年から広島で2年間プレーした二塁手、ティム・アイルランドも、隠し球の名手として名を馳せた。
近年では、ロッテ、巨人、楽天の3球団で計4年間プレーし、主に二塁、遊撃手を務めたルイス・クルーズも忘れられない一人だ。
ロッテ時代の2015年6月28日のオリックス戦では、「パ・リーグTV」の動画でも大反響を呼んだナイスアシストの好プレーを披露している。