僕と彼の相対性

 実は私は今、この文章を韓国金浦空港待合室で書いている。韓国に旅行されたことのある方はご存じであろうが、韓国では食事の際、お箸とスプーンが必ずセットで出てくる。またほとんどの場合、熱々のご飯が金属の器に入って提供される。そのため、お茶碗は必ず手に持って食べるようにと厳しくしつけられてきた我々年配の日本人は必ずやけどをしてしまう。

 一方で、「犬食い」をすることの多い昨今の日本の若者は何も疑問を感じることなく、本場の韓国料理を熱々の白米とともに思う存分堪能できてしまうのだ。

 無論これには理由がある。日本では、人間には手があるのだから食事をするときには器の類を手で口元まで近づけて食べるべきであると考える。当然、手で持ってもやけどしないように、茶碗に熱伝導率の高い材質(つまり金属)が用いられることはない。

 一方韓国では、食事の際に器を手に持つ動作はあたかも物乞いをしているように思われるために、悪いマナーであるとされる。

 したがって、ご飯の器を手で持てないように意図的に金属を用いることで、そのような不心得者をなくしているわけだ。同様に、汁物もまたお碗の端に口をつけて飲むことはご法度であり、スプーンが必須となる。深い文化を背景とした極めて科学的かつ合理的システムなのだ。

 と頭で理解はしていても、長年の習性はすぐには直らない。私は韓国で何度も無意識のうちにご飯の器を手に持ってしまい、アチーと叫んでは同じテーブルに着席していた韓国の先生方に「教養の低い日本人」というレッテルを貼られ白い目で眺められる羽目になる。

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