活動は数年単位に
3月4日、活動に同行した。
朝8時からの朝礼を終え、各チームを現場に送り出す。前原さん自身はまず、珠洲で活動する二つのNPOに洗濯機とユニットバスを届け、情報交換する。その後、輪島に向かって重機チームに合流。被災者の話を聞き、倒壊した家屋からの家財取り出しをするメンバーと打ち合わせをした後は、輪島市の災害ボランティアセンター分室に顔を出す。200キロ余りを移動し、拠点に戻るころには日が暮れかけていた。それからも、資料の整理や取材対応、他団体との打ち合わせなどが続く。とにかく人と会い、話をしている印象だ。
「支援団体が個別に活動するだけだと、どうしても支援のムラやモレが出ます。各団体の『点』を『線』につなげたり、『面』に広げたりするために、各地を動き回ってニーズを見定めています。能登での活動は数年単位になると思っています」
前原さんが広域を走り回る一方、地域に根差した活動をする団体も多い。珠洲市の中心市街地から、山道を越えて約30分。土砂崩れの跡が色濃い道を慎重に進み、坂道を下ると視界が開けた。群青の日本海が目の前に広がる。能登半島の最先端、珠洲市折戸地区だ。遠浅なのか、海面から岩棚がのぞく。
「去年まではあんなに海底が見えることはなかった。地震で隆起したんですよ」
地区の人がそう教えてくれた。
折戸地区は去年5月の地震でも大きな被害を受けており、二重被害となった家が少なくない。住民の多くは、地区内にある滞在交流施設を自主避難所とし身を寄せていた。この避難所内に拠点を置く支援団体「災害救援レスキューアシスト」は、去年5月の地震でもこの地区で活動、今回も発災直後に現地入りした。
1人の赤ちゃんのため
当初行ったのは近隣約15カ所の自主避難所への物資・食料支援。道路網が寸断されて住民の身動きが取れず、公の支援も届かない中で1人の赤ちゃんのために往復19時間かけて金沢まで戻り、ミルクとオムツを調達したりもした。
2カ月たった今は、倒壊した家屋からの車の取り出しやブロック塀の解体、災害ごみの搬出など「住民の困りごと」を減らすために活動している。