道が開けたのは、市交通局側で厳しい姿勢を示していた係長が、自分に気持ちを向けてくれたことだった。30代前半で、すべての決定に関わり、電機会社の部長級に不快なことがあると、相手が年長でも「帰れ」と怒鳴る。それをみて「そうか、この人の気持ちをつかまえたら勝てるな」と思った。

 それからは、係長が求めていることを聞き出し、どうすれば満足してもらえるかを徹夜で考え、徹底的に実現した。やがて打ち解け、信頼を得て、同意が簡単に得られるようになる。電機会社の面々も「あの係長を押さえられる金花は、いいね」と認めてくれた。『源流』が、流れ始めたときだ。

 その後に駐在したロンドンで心をつかんだ相手は、市交通局の技術分野の総帥だった副総裁だ。前号で触れたように、本社の社長が怒りまくった問題で、助け舟も出してくれた。『源流』の流れに、国境はない。続くニューヨーク駐在でも「出会い」は続き、流れは勢いを増す。

車両が故障すれば週末でも出ていって信頼を得た日本流

 ニューヨークの仕事場は、市北部にあるブロンクス区。車両基地に置いたトレーラーハウスが、事務所だった。勤務はジーパンにTシャツ姿。ロンドン時代の背広にネクタイの紳士風から、様変わりする。

 ニューヨーク市交通局(NYCT)から受注した車両は兵庫県の工場でつくり、米国へ持ってきて営業運転をしながら試験をした。週に1度、1週間にどんなトラブルがあり、どう処置したかの会議が交通局であり、まずそれに出た。

 すると、部屋の隅に1人、パイプ椅子に座って黙っている男性がいた。前から駐在している部下に「あれは誰?」と聞くと「NYCTの技術責任者で、ジーン・サンソン氏という人だ」と言う。「何であんなところにいるの?」と尋ねると、「川重が嫌いなのです。問題ばかり起こして最悪だと」と説明した。

 当然、「彼を落とせばいい」となる。以来、徹底的に話し、言われたことはすべてやる。車両が故障したら、すぐ飛んでいく。週末でもいった。これは、厚い信頼を得た。競争相手の米欧勢は、そうはしない。ジーンと仲よくなり、いまもニューヨークへいけば会っている。

 自分のビジネスパーソン人生は「天の配剤」で決まり、昨今の「キャリアアップ志向」とは無縁だ。与えられた機会に本気で取り組み、成果を出してこそ「次」が生まれる。自分の歩みは、そうだった。「やりたいことをやらせてくれない」と不満を言い、転職を繰り返しても、同じところを回り続けて終わる例が多い、と思う。

 いま、地球温暖化を防ぐために、脱・炭素に水素の活用を図る世界組織の共同議長をしている。川重がロケットエンジンの開発で蓄積した水素関連技術で世界に貢献したいし、世界の企業人たちの同じ思いを結集したい。これも「天の配剤」、また出会いに恵まれるだろう。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年3月25日号

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