車両基地は札幌で一番長く過ごした場所だ。広いので、移動に自転車を使う人もいる。潤滑油のにおいは「ものづくり」の象徴。現場の作業者たちと共有した「思い出」だ(撮影/狩野喜彦)

 建屋は全長240メートル。5年ごとに台車を車両から外して、クレーンで移動させて分解した。内部に傷はないかなどチェックして、また組み立てて車両へ戻す。走り出ていくとき、拍手で送りたい気分だった。

 テラスから、フロアへも下りた。車両や車台は新型になったが、みれば、川重独自の構造も含めて、すべてが分かる。やはり、自分は「車両屋」だ。

 76年春に大阪大学基礎工学部の電気工学科を卒業、4月に入社し、コンピューター制御の自動運転車両「KCV」の試験走行を担当した。タイヤはゴム製で、走行は静か。兵庫県加古川市の試験線で約3年、先輩と2人で動かしながら、様々な点を計測し、改良点を考えた。79年、上司が札幌市営地下鉄担当の部長となり、「鞄持ち」として一緒にいくことになる。

 札幌には長期出張の形で、1年の半分以上はホテル住まい。地下鉄はゴムタイヤで走り、KCVと同じだ。夜零時過ぎに終電が車庫へ入り、始発が朝5時ごろ。5時間近く線路が空く深夜に、新車両を試験運転して、いろいろなデータを取る。

 市交通局の事務所は、当初は南区真駒内にあったが、82年11月に厚別区大谷地東へ移った。『源流Again』で東車両基地から歩いて、事務所があるビルも訪ねた。この道で、冬は地吹雪が吹き上げ、何度も倒れそうになる。路地を抜ければ800メートルほどの距離だが、ずっと遠く感じた。

 ビルの前に立つと、ここで出会った係長のことが浮かぶ。試験運転した車両が朝の4時ごろに基地へ戻ってくると、みんなはホテルで仮眠する。自分は責任者だから、詰所でデータを集めて報告書を書き、コピーを取って、このビルへ届けた。

上司が転勤して20代で協議の主役に見いだした「極意」

 車両の納入は、川重が主契約者。上司の部長は市交通局との協議で、電気機器を納入する大手電機会社の部長級を両脇に置き、見事に仕切っていた。感心してみていたら、突然、その役が降ってくる。部長が1年もいないうちに神戸市の本社へ転勤し、後任がこなかったためだ。まだ20代半ば。協議前の控室で、聞こえよがしに「こんな若造で仕切れるのか」という声が飛び、「どうしようか」と戸惑いから始まった。

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