2005年の日本一に貢献し、“幕張の防波堤”と呼ばれたロッテ時代の小林雅英も、ハラハラドキドキのリリーフが少なくなかった。
最も記憶に残る“小林劇場”は、ソフトバンクと日本シリーズ進出をかけて激突した05年のプレーオフ第2ステージだ。第1戦、2戦と連勝し、王手をかけたロッテは第3戦も8回まで4対0とリード。そして、勝利目前の9回裏、小林が満を持してマウンドに上がる。
先頭のカブレラに安打を許したが、1死一塁から大道典嘉を詰まったゴロに打ち取り、マウンドを降りて処理。ここまではよかったが、直後、一塁悪送球を犯し、リズムが狂いだす。3連打で1点差に詰め寄られ、なおも2死一、二塁のピンチで、敬遠満塁策をとったが、フリオ・ズレータに押し出し四球を与えて同点。セーブのつかない4点リードでの登板が「変な緊張感」をもたらし、自分自身を見失ったという。試合も延長10回にリリーフ陣が打たれ、悪夢のサヨナラ負けを喫した。
勢いをそがれた形のロッテは、第4戦も連敗。逆王手をかけられた第5戦も7回まで1対2の劣勢ながら、8回に初芝清の幸運な内野安打をきっかけに、里崎智也の2点タイムリー二塁打で一気に逆転する。
そして9回裏、守護神・小林が「(第3戦で)やらかした僕に雪辱の場を与えてくれた」チームメイトたちに感謝しながら、リベンジのマウンドへ。だが、先頭打者にいきなり四球を与え、犠打で1死二塁のピンチを招いてしまう。
ファンにとっては嫌なムードの展開ながら、小林は冷静さを失うことなく、柴原洋を二飛、川崎宗則を渾身の147キロ直球で左飛に打ち取り、3対2で見事逃げ切り。後年、小林自身も「プロ生活で最も印象深い登板」と回想している。
シーズンで29セーブを挙げ、最多セーブに輝いた小林は、阪神との日本シリーズでも、3連勝で迎えた第4戦、1点リードの9回に登板。ここでも先頭打者に四球を許したが、ゼロに抑え、31年ぶりの日本一を実現している。