クローザーというと、僅差のリードで迎えた最終回に登板し、相手の反撃をピシャリと断つイメージが強い。その一方で、お約束のように四球などでピンチを招き、ファンをハラハラドキドキさせる“劇場型”のクローザーも存在する。
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代表的な一人が、巨人時代の石毛博史だ。
高卒4年目の1992年、藤田元司監督から“新守護神”に指名されると、150キロの速球とスライダーを武器に、6月に9試合連続SP、12試合連続無失点とブレイク。最下位目前だったチームが一転首位争いを演じる“大逆襲”の立役者となり、5勝16セーブを挙げた。
長嶋茂雄監督が復帰した翌93年も、石毛は橋本清とともに“勝利の方程式”と呼ばれ、球団新の30セーブ(36SP)を記録。最優秀救援投手に輝いた。
だが、7月13日からの広島3連戦で1人の走者も許さず、3試合連続セーブを記録する一方、同17日のヤクルト戦では、古田敦也に逆転満塁サヨナラ弾を浴びるなど、制球不安から崩れるパターンも少なくなかった。
抑え3年目の94年は、開幕から四球を連発し、不安定な投球が続く。「四球は僕の持ち味ですから。結果的に抑えればいいんです」と発言し、「そんなこと言うもんじゃない」と長嶋監督に叱責されたのも、この頃だ。
だが、首位を走る巨人は、劇場型クローザーの失敗を取り返す底力があった。9月17日の阪神戦、石毛は9回に2点リードを守れず、押し出しで同点を許すが、その裏、代打・大久保博元が“涙のサヨナラ2ラン”を放ち、優勝マジックを「9」にした。
結果的に勝ち投手になった石毛だが、10月8日の中日との優勝決定戦では、桑田真澄がリリーフに回ったため、出番なし。西武との日本シリーズでも登板1試合にとどまり、95年以降は、木田優夫らに抑えの座を譲ることが多くなった。
そして97年、石井浩郎との交換トレードで吉岡雄二とともに近鉄へ。チーム事情から先発転向も、6月10日の西武戦で初回先頭打者から5連続四球を記録。その後、再びリリーフに戻ったが、“クローザー石毛”が復活することはなかった。