俊足巧打の助っ人、ポール・デードが7月に故障で解雇され、その後釜として緊急補強されたのが、タイガーズ時代にメジャー経験のあるゴンザレスだった。
7月21日に来日も、左足首を痛め、打撃も守備もビクビクしながらという状態では、すぐに1軍で使うのは無理。その後、9月17日の2軍戦で守備中に左手を負傷し、さらにデビューが遅れた。
そして、9月27日のヤクルト戦でようやく代打デビュー。ボテボテの一ゴロに倒れたが、2番レフトで先発出場した翌28日のヤクルト戦では、スタンドの“ゴンゾーコール”に応えて、3打席目に松岡弘から右越えに来日1号。試合前に「今日はホームランを打つ」と予言した中西太監督を「オレの言ったとおりだろう」と喜ばせた。
だが、これが最初で最後の本塁打となり、出場わずか9試合、打率.174、1本塁打、3打点というパッとしない成績で日本を去った。
来日後、たった1試合の登板で消えてしまったのが、97年に近鉄に入団したジョニー・ラフィンだ。
メジャー通算39勝のボブ・ミラッキが3月31日の練習試合で9失点するなど、1軍で使える目途が立たないため、急きょ入団が決まり、5月9日に来日。決め球や持ち球など、何を聞かれても「シークレット」で押し通す受け答えも話題になった。
5月13日のダイエー戦でいきなり先発デビューも、5回0/3を3失点ながら7四球と制球難を露呈。「ブルペンでは良かったのに、本番では球が来ていなかった。相変わらずシークレットな奴やなあ」と佐々木恭介監督を嘆息させた。
2軍落ち後も、5月24日の中日戦で2回を7四球2失点で負け投手に。球種も少なく、「シークレット」と言うほどのものではなかった。
それから間もなくして、ラフィンは「彼女が交通事故で入院」を理由に帰国し、そのまま退団。ライバル・ミラッキの1軍昇格が決まり、外国人枠3人が埋まったため、モチベーションが下がったのかもしれない?