森鴎外は子どもに“外国風”の名づけ
さらに、外国から影響を受けた名前もあった。
古くは安土桃山時代。「清原いと」という女性がキリシタンになり洗礼を受けて、公に「清原マリア」と名乗るようになった。
明治の文豪・森鴎外は軍医としてドイツに留学した際に、本名の「林太郎(りんたろう)」をなかなか覚えてもらえず苦労した。その苦い経験から、5人の子どもには漢籍をふまえつつ、海外でも親しまれそうな名前を付けた。例えば長男は「オットー」に近い「於菟」(おと)、次男は「フリッツ」に近い「不律」(ふりつ)といった具合である。
最近は海や七海で「まりん」、愛を「らぶ」など英語の発音の名前があり、それを否定的に見る向きもあるが、「信仰があっての話ですが、清原マリアのように外国風の名前に変えたり、森鴎外のように外国を意識して子どもに名前を付けたりする例は、最近になって始まったことでは決してありません」と笹原さんは話す。
意外に思えるが、1950年ごろまで女の子の名前で何度も1位になった「和子」など、和を「かず」と読む名前も、名乗り訓である。和子は平安時代に登場したようだ。
「任孝天皇の第8皇女、和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)の『和』もそうです。皇族が用いた読み方までおかしいなどと言い出したら、日本の名付け文化の伝統さえも否定することになりかねません」(笹原さん)
現代の有名人では、布袋寅泰さんの「寅」(とも=寅僚<同僚のこと>などの熟語から)、堺正章さんの「章」(あき=あきらかにするの意)、宮崎駿さんの「駿」(はやお=足の速い優れた馬+男)、浅野温子さんの「温」(あつ=あたたか)、中村雅俊さんの「雅」(まさ=正しいの意)も名乗り訓。数えきれないほどに事例はある。