環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」と「敗血症性ショック」で長らく入院生活を続けていた天龍さん。今回は自宅療養中のところ、これまで見たご祝儀や思い出の祝宴について語ってもらいました。
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今回は「ご祝儀」か。元相撲取りの痛いところをつくねえ(笑)。俺が相撲の世界に入ったころ、横綱・大鵬さんの全盛期だったこともあって、ものすごかったよ。大鵬さんのスポンサーには想像を絶するご祝儀がもらえていたからね。当時のサラリーマンの月給が2~3万円だった時代に、おそらく、数百万円のご祝儀をもらっていた。
ご祝儀でいえば、後輩の麒麟児が出世してタニマチの宴席5~6件に顔を出してから部屋に帰って来て、着物の帯を取ったら祝儀袋が何十個もボトボトボトボト……と落ちてきたなんてこともあったね。
それを見て俺は「麒麟児の野郎、こんなに儲けやがって」と思ったけど、つくづく、相撲取りは強くならなきゃと身に染みたよ。俺は相撲をナメていたところがあって、普通通り稽古をしていれば番付は上がるもんだと思っていた。
貴ノ花が泥まみれになって稽古してるのは野暮だなって思っていたけど、俺が間違いだった。土俵には金も地位も名誉もみんな埋まっているってのは本当だ。
強烈な印象のご祝儀
かくいう俺も、ご祝儀は結構もらってきた。特に強烈に印象に残っているのが、田舎から相撲に入るときにもらったご祝儀だ。俺と部屋の間に入ってくれた人が県議会議員の人で、その伝手で福井県人会にあいさつにいったときに、福井放送の会長・加藤尚さんがいた。
この人は全国納税者番付に入るような福井の有名人で、その加藤さんから直接「がんばれ」と言われて、かなりの額のご祝儀をもらったんだ。ビックリしたよ。俺はそのまま相撲部屋に入るから、金は親父に預けて手に入ることはなかったんだけど……。
それから福井に帰るたびに加藤さんは宴席を設けてくれていつも会ってくれたんだ。それで何回目かの宴席のときに、親父が「社長、すみません、これから(親父が務めていた)金沢の専売公社で、私の同級生が天龍が来るのを待っているので、このへんで」と席を離れようとした。