広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。
新幹線が日本各地へと伸びるなか、これまで長距離間の移動を支えてきた寝台列車が次々と廃止され、寂しさを覚える人もいることでしょう。旅はその移動過程も楽しみのひとつというのは、今は昔。都会暮らしで忙しさに慣らされた人にとって移動は、スマホをいじるための“スキマ時間”といっても過言ではないのかもしれません。
でももし、約千kmを鉄道で移動するとしたら、あなたならどう過ごしますか?
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アフリカの国々ではあまり見かけられないもののひとつに、鉄道が走る風景がある。私自身も、アフリカ滞在中に鉄道に乗車した経験は、ごく限られる。今回は、そんな鉄道での旅を綴っていく。
西アフリカ西端に位置するモーリタニアには、世界屈指の列車の長さを誇るモーリタニア鉄道がある。この鉄道は、同国北部のズエラで採れる鉄鉱石を、港町ヌアディブまで運ぶために建設されたものだ。鉄鉱石を載せる貨車は何十両も連結され、列車の総延長は2km以上とも言われている。
2001年、私はフランスから南アフリカを目指す旅の途上にいた。当時、モーリタニアのヌアディブから首都ヌアクショットまで南進するには、サハラの砂丘を越えなければならなかった。しかし、このモーリタニア鉄道に乗ってチュムという町まで進めば、サハラの砂丘を越えることなく舗装路を通ってヌアクショットまでたどり着くことができる。私は過去にサハラ越えを経験していたため、せっかくだから今度は異なる風景を見たいとの想いから、鉄道の旅を選ぶことにした。
この鉄道はあくまでも鉄鉱石を運ぶために敷かれたものであり、乗客を乗せることはまるで考えられていない。そのため、駅といってもプラットホームはなく、鉄鉱石を載せる貨車だけが地平線に向かって延々と伸びている。最後尾に一両だけ客車が連結されていると聞いていたが、私の立つ位置からはあまりに遠く離れているため、客車は見えなかった。
いつ終わるともしれない貨車の列が連なる中、鉄鉱石のほか、乗用車などを乗せるスペースもあった。遥か遠くの客車を目指して歩いていると、乗用車の持ち主から、「客車は混み合っているためしんどいから、自分の車の中で眠るといい」と勧められ、せっかくの好意だったので受けることにした。
列車は、時速40km弱でゆっくりと夜のサハラを突き進む。自分の吐く息で窓が曇った乗用車の車内で、寒さに身を震わせながら、じっと到着を待ち続けたのをいまでも思い出す旅だった。
その翌年に私は、まだ南北に分かれる前のスーダンの、ニャラという街にいた。ニャラは、スーダン西部ダルフール州の州都だ。サハラの南に位置するこの地域でも、見渡す限り砂地が続く。ここでも私は、ニャラからラハドまでの約千kmの区間を、列車で進むことにした。
スーダンでは、国営鉄道が総延長5千kmを越える区間で運行されている。私は、これほど長い区間の路線網を持つアフリカの国を、他に知らない。単に路線が存在するだけでなく、週に2本ある運行ダイヤはしっかりと保たれていた。列車と線路の整備を続けるだけでも、相当な手間と費用がかかるはず。国内の鉄道を維持していることに、スーダンの国力というものを感じた。
ニャラからラハドまでの1泊2日の列車の旅は、快適とは言えないまでも、のどかなものだった。向かい合わせの椅子が並ぶ客車はほぼ満席だったが、定員はしっかりと守られていた。数時間置きに列車が止まり、その度に車窓から炭の匂いが車内に入ってくる。窓から外を覗いてみると、プラットホームも駅名の記された看板もない場所に、七輪で豆を炊いた即席の露店が並び、乗客が降りてくるのを待っているのが見えた。そんな露店を利用しつつ、眠っては食べてを繰り返しながらの旅だった。
長距離を結ぶ鉄道は、ほかにもセネガル・マリ間を結ぶ「ダカール・ニジェール鉄道」、ケニアのナイロビ・モンバサ間を結ぶ「旅客列車」、タンザニアとザンビアを結ぶためのタンザン鉄道と呼ばれる「TAZARA」、豪華な寝台列車として有名な南アフリカの「ブルートレイン」あたりが、有名どころだろうか。
また、各国内の都市間を結ぶ鉄道も日本と比べたら数は少ない。私の知る限りでは、モロッコ北部の各都市を結ぶ「ONCF」と、 ナミビアの各都市を結ぶ「TransNamib」、ジンバブエの首都ハラレとヴィクトリア・フォールズを結ぶ「NRZ」、そして南アフリカの「Shosholoza Meyl」など、数えられる程度。日本のように日々の足として使われるような、近距離間を過密に運行する鉄道は、アフリカではほとんど見られない。日常の風景の中に駅を見かけることは、なかなかないものだ。
アフリカでは、都度対応が多い。生活必需品はバラ売りが多く、近距離の移動はバイクや乗合タクシーで乗り継いで行く。車両と線路網を隅々まで管理し続ける労力と、積荷や乗降客からもたらされる富とのバランスを考えると、鉄道は、アフリカの国々にはなかなか馴染みにくいものなのかもしれない。
と、この原稿を書きながらそんなことを思っていると、私の先入観を吹き飛ばすようなニュースを見つけた。
エチオピアの首都アディスアベバで9月20日、近距離間を運行する電車が開通した。エチオピア運輸省のFacebookページ“Minitry of Transport Ethiopia”には、近代的な路面電車がアディスアベバの街中を走る写真や映像が、掲載されている。同省によると、サハラ以南のアフリカ諸国では初めてとなる、完全に電気のみで運行される鉄道網とのことだ。
これからは、通勤客で車内がごった返す風景が、アフリカでも見られるようになってくるのかもしれない。電車の開通は、現地の方々にとって喜ばしいことであるはずだけれども、もし、アフリカにおいても忙しくせわしない日々が日常となってしまうのなら、それはそれで、なんだか少し、寂しい。
このピカピカの路面電車はこれから、アディスアベバの風景にどのように溶け込んでいくのだろう。いつの日か、エチオピアを再訪して確かめてみたい。
岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。
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