昨年11月と12月にモレンシー銅鉱山と別子事業所を、連載の企画で一緒に訪ねた。中里佳明さんは、ビジネスパーソンとしての『源流』はモレンシー銅鉱山を初めて観たときの衝撃だ、と言い切る。その『源流』をもたらした伏流水は、別子事業所で溜まっていた。
92年7月下旬、バンクーバー事務所へ黒字化しそうなモレンシー銅鉱山の経理や税務の処理に、赴任した。モレンシーの採掘権は86年、住友金属鉱山が12%、住友商事が3%を100%持っていた米フェルプス・ドッジ(現・フリーポート・マクモラン)から買い受けた。品位を高めた銅精鉱を、船で別子事業所などへ送っている。
着任すると、日本の運転免許証をカナダと米国で使えるものに書き換え、1週間後に前任者とモレンシー銅鉱山を訪ねた。グランドキャニオン国立公園があるアリゾナ州の東端。州都フェニックスの空港でレンタカーを借りて、運転していく。
まずはスーパーで砂漠を行く備えに1ガロンの水を買う
驚いたのは、前任者がまずスーパーマーケットへいけ、と言う。買ったのは、1ガロン(約3.8リットル)の水が入ったポリ容器二つ。途中、砂漠のなかを4時間半いくので、車が故障した場合は救援がくるまで1時間は待たなければならない。アリゾナの砂漠は夏は地表の温度が45度を超え、車外へ出られない。
道路へ降りてはいけない理由は、ほかにもある。車が止まって車体の下に日陰ができると、ガラガラ蛇が出てくる。ドアを開けて足を降ろした途端、やられることが多い。車の中で1人1ガロンの水を飲みながら我慢して待てば、パトカーが1時間に1度は回ってくるか、運がよければヘリコプターがみつけてくれる。そう聞かされた。
『源流Again』での再訪は陸路でなく、プライベートジェット機でいった。モレンシー近くの上空で旋回すると、中里さんが「あれが、たぶんモレンシーだ」と指をさす。地元の郡空港に着陸し、マイクロバスに乗り換えて、山へ向かう。道路の両側は土漠が続き、這うような草木のほかに何もない。事務所は標高約1500メートルで、働いているのは約3900人。「子どもは入山禁止、ペットは車の中に」がルールだ。
久しぶりに、露天掘りをした谷底を見下ろす崖の上に立つ。
「こんな銅鉱山の権益を、財務に余裕がない時代に、よく獲得したな」
31年前と同じ感慨が、口を出る。鉱脈は、まだみつかっている。いまの産出量で、あと20年は続く。目先のことに追われがちな日々でも、事業の先々を見据え、グローバル化の進展や権益の奪い合いも予感し、思い切った投資へ踏み出した。先人の決断力を、再確認する。
別子を再訪したのは、それから1カ月後。JR新居浜駅前から山へ向かって、車で上っていく。山麓に着くと、別子銅山記念館だ。入ると、坑道が張り巡らされた銅山の模型がある。最深部は海面下1千メートルを超える、とあった。