別子銅山記念館の横のグラウンドは、かつて大相撲を呼んで社員家族で楽しんだ。ここに立つと、息子や娘とサッカーをやった日を思い出す(撮影/狩野喜彦)

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年2月26日号では、前号に引き続き住友金属鉱山・中里佳明会長が登場し、「源流」であるモレンシー銅鉱山や別子事業所を訪れた。

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 創業の地・新居浜市の別子事業所で、働いているだけで、心が弾んだ。

 1983年10月に着任した。銅やニッケルの製錬を担う工場群があり、入社して7年半、ずっと望んでいた勤務地だ。ここで、30代のほとんどを過ごす。現場の人たちから直に話を聴く楽しみ、妻子と過ごす豊かな時間、そして別子銅山の歴史から多くを得た。

 何よりも先人の先見性に、感嘆した。太古の時代、海底の火山活動で銅を含んだ鉱床がつくられ、新居浜市の南にある山系の別子山村(現・新居浜市)の地表に顔を出し、江戸時代前半の元禄3年(1690年)に発見された。優良な鉱脈と確認した住友家は、翌年に採掘を開始する。それが、別子銅山だ。

283年の歴史持つ別子の銅鉱脈は円高の打撃で閉山に

 鉱床は長さ約1800メートル、厚さ2メートル50センチ。標高1200メートルから海面下約1千メートルまで、斜めに続く、国内最大規模の鉱脈だ。地中深くまで掘った結果、採掘者の出入りに時間がかかり、地中の温度も高くなって、作業効率が落ちていく。コストは海外の安い銅鉱石を上回り、円相場の変動制移行による円高で国際競争力は打撃を受け、入社3年前の1973年に283年の歴史に幕を下ろしていた。

 ただ、住友金属鉱山ができただけでなく、ここから化学、機械、林業など様々な住友グループの事業も生まれた。その先見性は、次の勤務地カナダのバンクーバーで管轄した米アリゾナ州のモレンシー銅鉱山を目にしたとき、衝撃にまでなる。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

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