私は、文章を書く仕事をしていて、この仕事自体はそれほど大きな原動力がなくともやっていたと思いますが、自分の名前で記事や本を出したり、特に自信も需要もない顔を晒して対談やトークイベントなども割と気軽に引き受けたりする作家という職業を選び、締め切りを破りながらもなんとかやってきたのは、基本的には邪(よこしま)な原動力があったからです。というかそれがなければ、同じく文章を書く仕事でも、定期収入があったり、自分の風貌や名前を晒さないでよかったりする仕事を選んでいたような気もします。

 鈴木涼美としてのデビュー作『「AV女優」の社会学』はもともと修士論文ではありましたが、新聞社の若手社員をやりながらそれを一冊の人文書に書き換えていく作業は結構面倒なものでした。それでも、当時好きだったバンドのボーカリストは日経新聞の記者としてインタビューする機会はあまりなさそうだったし、名前を出して本など書いていたほうが、なんとなくそういう人に対談を申し込んだり、帯文を書いてもらったりしてなんとかつながりをつくることができる気がして、その一点の原動力だけで書き上げました。

 二冊目のエッセイ集は、当時好きだった人の元カノが写真家だったので、張り合えそうな肩書ってやっぱ〇〇家かなと思い、一冊研究書を出しただけだと作家とか随筆家って名乗れなさそうだからという理由で書き上げました。どちらの恋も、書き上げた頃にはすでに鎮火しており、結局作家の立場をうまく利用して好きな人に近づくという作戦は決行していません。でも、本を一冊書き上げるというのはけっこう面倒くさい作業です。私には「世の中の悩んでいる女性にとって少しでも癒しになるような本を作ろう」とか「自分の若い頃と似たようなことで苦しむ女の子が読みたいと思えるものを書こう」とかいう原動力だけでは足りず、大体何かしら下心があるときに本が出来上がります。公私混同上等です。というか公私くらい混同しないと生き苦しい世の中です。

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芸人との恋を始めるには?