日本は世界でも長寿国で、平均寿命は、最新の2022年のデータによると女性は世界1位、男性は世界4位。長生きするという点においては、成功しているように見えますが、長生きした結果、介護する家族が負担を感じ、自分たちの生活もままならなくなり、介護される本人がそれを申し訳なく感じる社会になっているのも事実です。誰が悪いわけではなく、関わる人みんなが必死に取り組んでいる中で、こんなことになっているのはなにかがおかしいのではないかと、介護の間ずっと思い続けていました。

 介護は、契約したわけでもないのに、ただそばにいるという理由だけで、近くにいる家族がすべて請け負わなければならないところがあります。さらに一度請け負うと、そこから手を引くことが難しい。遠くにいて「たまに」面倒をみるのと、日々責任を持って介護の役割を果たすのとでは、大きな違いがあります。契約関係などない中で突然始まる日常なので、仕事よりもずっと難しい課題だと思います。両祖父母がいなければ今の私はなく、彼らのことは大好きでしたので、介護自体を嫌だと思ったことはありません。それでも、一日も気が休まることのない日々を送る中で、誰にもぶつけられない悶々とした気持ちを抱えながら毎日過ごしていました。

 私はパブリックヘルスを仕事としていながら、祖父母の介護に何も貢献できていない葛藤もありました。医師ではないので、祖父母が目の前で具合が悪くなった時も自分は何もできない。一方で、さまざまな種類の介護の道のりを経験する中で、パブリックヘルスだからできるのではないかと思うことも感じてきました。

 日本は、健康全般・医療全般に対してとてもいい制度が整っていると思いつつも、制度の狭間(はざま)ではまってしまってどうにもならないことがあったり、介護者の身体的・精神的負担が考慮されていないと感じることがよくありました。こういったことを自分事として経験し、制度や環境を俯瞰(ふかん)して見ることができるパブリックヘルスが役に立つと確信しました。

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