意味のない校則に反発 仲間外れは日常だった
思春期が女性作家の充実期と重なったのである。大人になればこういう世界が待っているのだ! だがこのような自我の芽生えは学校や家庭への疑問も育てていく。両親は門限に厳しく、服装にもいちいちチェックが入った。友人と渋谷へ出かけることすら許されない。「このままだと『山田詠美』になれない!」と思った。小学生の頃から痴漢などの性被害に遭うこともあり、両親は娘が未知の世界に出ていくことが心配だったのだろう。
「でも、自分としては守って欲しいなんて思ってない。それよりいろんな街へ出ていろんなものを見たい。今に続く根っからの性質です」
学校では意味のない校則や制服に反発するようになった。靴下は白に限ると言われれば、教師に対して「なぜそうなのか」と問いたださずにはいられない。そんな花田はクラスで浮いていく。いじめ、仲間外れは日常だった。人生でいちばんつらかった時期である。『完全自殺マニュアル』がベストセラーになった時は早速手にとった。
「自殺を図ったことはありません。ただ、いつでも死ねると思えば生きていける。『死んでもいいんだよ』と言い続けることで、死ぬことの〆切を先延ばしにするようなもの。あの本で救われた人は多いはずです」
中2の時、コンビニで手に取った雑誌「CUTiE(キューティ)」で岡崎京子の漫画に出合う。数ページ読んだだけで「ここですごいことが起きている」と感じられた。ストリートファッションやサブカル中心の記事も新鮮だった。
「当時の『CUTiE』には自分の夢の世界があった。よし、こっちへ行くぞと思いました」
高校は「制服がない(当時)」という理由で都立上野高校へ進学。高校ではサボれるだけサボった。写真家の蜷川実花(にながわみか)やHIROMIXが活躍し始めた頃で、「こういうことが表現なんだ!」と刺激を受け、写真も撮り始める。文章も書き続けており、作家になりたいという淡い希望を持っていた。両親は良い大学から良い会社へ入ってほしいと強く願っていたが、学校へまともに行けないのにきちんとした会社勤めなんてできるわけがない。何より自由に生きたかった。最終的に「なんとか大学には行ってほしい」という親との折り合いをつけ、日本大学芸術学部文芸学科へ進む。
「ここで身の程を知るんです。文芸学科ではみんな小説を書いていて、それを集めた冊子を10人くらいで作るのですが、読んでみたら全員才能がなかった(笑)。文章を世に発表したいという気持ちがゼロになってしまいました」