ペットのインコ「たいペー」と。「人生のあらゆる不幸や災難の中でインコの死がいちばんおそろしい」というほど可愛がっている。「たいペー」は出勤する時に連れてこられ、レジのそばの鳥籠で過ごす(撮影/関口達朗)

工夫した手書きのPOPで 本や商品が大ヒット

 家には終電で帰るか、友人のところへ泊まるなどして帰らない。親に抑圧されていた期間が長かったので夜中に行動することが嬉しかった。アルバイトもたくさんした。中でも銀座にあったSM系バーでの仕事はおもしろかった。客との行為が伴うわけではない。エナメルの服、網タイツ、膝上のブーツなどをまとい、変わった性的嗜好のある客の話を聴くだけ。ある種の後ろ暗い秘密を抱える男たちがただゆっくり酒を飲み若い女の子と話せる場として、高い金を払い店に通ってきた。

「私にとってはサブカルの世界でした。大学の同級生とは全然違う世界に生き、人との会話を深めていく楽しさをこの時期に知った気がします」

 大学を出て飲食の会社に就職したが、3カ月で退職。翌年、書店「ヴィレッジヴァンガード」へアルバイトとして入社する。セレクトされた本や多彩な雑貨を並べ、POPで埋め尽くされたサブカルの発信地として人気を集めていた「ヴィレッジヴァンガード」下北沢店は、学生時代から足繁く通った大好きな店だった。最初に入った六本木ヒルズ店では「その他大勢としての入社」だった。当時の店長だった吉田亮(48)は、

「会社にはそれまで女性がほぼいなかったのですが、さすがにこのままではまずいと募集したら入ってきたのが彼女です。女性としての先駆者的な存在で、社内的には果たして女性がヴィレッジヴァンガードでやれるのか、やれるとすれば何ができるのか注目されていました」

 と話す。最初のうちは雑貨を中心に担当した。この時期花田は独特の嗅覚を発揮する。たとえば若い女性向けのノーブランドの香水を、POPを工夫することで何百個も売って話題になった。その時彼女が書いた言葉は「抱きしめたくなる香り」。

「POPで売れたことは一目瞭然。そのうち全店舗で彼女の真似をして売り始め、結果的には数万個売れる大ヒット商品になったんです」(吉田)

 売ったのは香水だけではない。売りたい本や商品に手書きのPOPをつけ、次々にヒットさせた。自分にないものだと一時は諦めていた「書く才能」がここで発揮されたのである。

「彼女は自分の思い入れだけで書いているわけじゃないんです。届くべき人のところに届くような、橋渡しをするような、ちょっと距離のあるPOP。相当手間暇がかかっていたと思います」(同)

 それまでは社会と適合できないという劣等感が強かったのに、小売りがおもしろくて自分の能力を発揮できる場だと気づいた花田は仕事が大好きになった。やがて店長に昇進。社員にもなって、首都圏ばかりか宇都宮や京都で店を任された。スーパーバイザー的に店を横断してアドバイスする立場になると出張で全国をまわった。忙しかったが好きな本は常に傍にあった。いつも何かを吸収したい一心だったのである。

(文中敬称略)(文・千葉望)

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