記念すべき第100回目の箱根駅伝は、青山学院大の2年ぶり7度目の総合優勝で幕を閉じた。3区・太田蒼生(2年)の区間賞の走りが大会のハイライトと言えたが、4区で区間賞の佐藤一世、7区で区間3位の山内健登、9区で区間賞の倉本玄太の最上級生3人の“有終の走り”も光った。だが、他大学の4年生ランナーを見ると「苦しい箱根」になった者も多い。
真っ先に名前が挙がるのが、三浦龍司(順天堂大)だ。洛南高時代からトラックで好タイムを記録した世代トップのスピードランナー。大学1年時に全日本で1区区間新の走りを見せた後、同年の箱根予選会で日本人1位(全体5位)となり、大迫傑の持っていたハーフマラソンのU20日本最高記録を更新。翌2年時には東京五輪の3000メートル障害で7位、3年時にはダイヤモンドリーグ(DL)ファイナルで4位入賞を果たした。だが、箱根では1年時の1区10位から、2年時2区11位、3年時2区12位と振るわず。そして今年のラストランも1区10位。故障や距離適正に苦しみ、オリンピアンという肩書き、知名度に見合う走りを箱根では最後まで見せることができなかった。卒業後は、金栗杯受賞の山本唯翔(城西大)と同じSUBARUに進み、まずは今夏のパリ五輪を目指す。
この三浦は、高校時代の5000mの持ちタイムで世代1位の記録を持っていたが、それに続く2位のタイムを誇ったのが、鎌倉学園高卒の児玉真輝(明治大)である。当然、大学では入学直後から次期エースとして大きな期待を背負い、実際に箱根でも1年時から主要区間を任された。だが、1年時は1区16位、2年時は3区14位と振るわず、3年時は2区出走予定もコンディション不良で欠場。そして最後の4年時は、満を持してエース区間の2区出走を果たしたが、区間23位の大ブレーキでチーム順位を8位から一気に22位まで下げてしまった。卒業後は小原響(青山学院大)と同じGMOインターネットグループ入りする予定だ。
この世代では、佐久長聖高卒の鈴木芽吹(駒澤大)、学法石川高卒の松山和希(東洋大)らも高校時代から名が知られていた。さらに八千代松陰高で佐藤一世(青山学院大)も活躍していたが、その佐藤のチームメイトであり、良きライバルだったのが、石井一希(順天堂大)である。当時の5000mの自己ベストは、世代3位の吉居大和(中央大)に続く4位で、5位の鈴木芽吹を上回っていた。その実力通り、1年時から4年連続で箱根を走ったが、1、2年時こそ4区5位、4区2位と好走したが、3年時は4区15位に沈み、ラストレースとなった今年は山登りの5区を任されるも区間13位と目立たず。巻き返しを誓い、卒業後はヤクルトに入社する予定となっている。