歌会始の儀では、女性皇族方は美しいローブモンタントに身を包む=2024年1月、皇居・宮殿「松の間」

 今年の歌会始は、陛下が雅子さまに「譲る」というほほえましいエピソードが生まれた。しかし、永田さんが陛下へ「お譲りしては」と提案したのは、ご夫婦での譲り合いという理由だけではなかった。

「披講された『をちこちの』の和歌の完成度が、陛下の他の2首よりも抜き出ていました」

 国民との触れあいを強く感じさせるこの和歌は、天皇の歌としてふさわしいものだと、永田さんは感じたのだ。
 

天皇や皇族方の張り詰めた神経

 永田さんは陛下の和歌に、天皇が背負う重責の一端を感じたと話す。

「天皇や皇族にとって、人びとと会うことは大切な務めです。一方で、天皇の公務は穏やかな内容ばかりではなく、被災地への訪問など背負うものが大きいこともあります」

東日本大震災で被災した岩手県の仮設住宅の入居者に声をかける、当時の皇太子さまと雅子さま=2013年11月、釜石市

 たとえば今回の能登半島地震でも、時期を見て両陛下は被災地を訪問されるだろう。そのときに、家族や家を失った人びとに、どのような声をかければよいのか。また、訪問する時期を見誤れば救援・復興活動の妨げとなり、被災地に迷惑をかける恐れがあるため、慎重さと配慮が必要となる。

 天皇や皇族方は、神経を張り詰めさせながらも人びとと思いを交わそうと、被災地などを訪れるのだ。

「そうしたなかで、人びとから向けられた笑顔に、陛下は心からほっとなさったのだと思います。陛下は、『和』の題で『心が和む』と詠みこまれた。この御製は『皆さんの笑顔で、私の心が和むんです』という、天皇から人びとへの励ましと感謝の想いが、メッセージとして込められていると感じます」
 

 能登半島地震が発生したのは元日で、歌会始の儀は19日。陛下がこの和歌をつくったのは、地震の発生前だ。

 永田さんは、御製に能登半島といった言葉こそ詠みこまれてはいないが、

「能登半島地震で被災した人びとに向けて、まだ直に訪ねることはできていないが、心配していますよ、というメッセージ性の強い御製です」

 と見て取る。

 歌会始の後、両陛下は一般の応募で選ばれた入選者と懇談した。入選者の中には、石川県かほく市の職員もいて、両陛下は被災を気遣う言葉をかけられたという。
 

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「雅子さましか詠めない和歌」