2月4日の放送で5回目を迎える大河ドラマ「光る君へ」。第4話は、藤原道長(柄本佑)が、母を殺害した人物の弟だと知ってしまったまひろ(吉高由里子)がその場で倒れる場面で終わった。道長とまひろの関係は、第5話ではどう描かれるのか。
「光る君へ」の主人公はいうまでもなくまひろ(紫式部)だが、もう一人の主人公ともいうべき存在が藤原道長。栄華を極め、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだことで知られる道長は、実際はどんな人物だったのか。『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)からリポートしたい。
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摂関政治の全盛期を築いた藤原道長は、一条天皇の外戚として摂政太政大臣まで上り詰めた藤原兼家の五男。兼家は、先に関白となった兄・兼通と対立し長らく出世を阻まれたが、兼通の死後、娘の詮子(せんし)が生んだ一条天皇を即位させ、天皇の外祖父および摂政として実権を握った。
兼家の後を継いだ長男・道隆も関白となり、娘・定子(ていし)を一条天皇の中宮(妃)とし、嫡男・伊周(これちか)を21歳で内大臣に就けるなど栄華を誇った。しかし、道隆は深酒が原因で早世し、関白を継いだ弟・道兼も、大流行した天然痘により就任10日ほどで亡くなった。
兄たちの早世によって後継候補に挙げられたのが、内大臣・伊周と権大納言・道長である。官位は伊周が上だが、道長の姉で一条天皇の母后にあたる詮子の強い推薦により、道長が内覧(天皇の文書を事前に見る職)かつ左大臣となり、一躍、政権のトップに躍り出た。
道長の権勢を支える大きな力となったのが、婚姻政策である。一条天皇の中宮となった長女・彰子(しょうし)は、敦成(あつひら)親王・敦良(あつなが)親王という皇子を生み、後年、二人が後一条天皇・後朱雀天皇として即位し、摂関家にかつてない栄華をもたらすこととなる。