それまでは自分で運転してどこにでも行くことができたので、運転免許証がなくなってからは「不便になった」と感じることが増えました。実際に運転をする機会は減っていたものの、やはり「やろうと思えばできる」と「やろうと思ってもできない」の差は大きいようです。どんなことであれ、これまでできていたことができなくなるのは寂しく、それが「不便になった」という思いにつながっているのでしょう。
一方で、新たな環境にはすぐに慣れるもので、不便さを感じつつも、いまでは車や運転のことにはすっかり関心がなくなっています。最近は、それはそれで問題ではないかと考えるようになりました。関心がないことについては、どうも概念的なものが記憶から消えていくようだからです。
自分で車の運転をしていたときは、車種が違っても操作の方法がある程度わかりました。しかし、いまはかなりあやふやになっています。とくにまったく知らない車種では、自分では内側からドアを開けられなくなっているのに気付きました。
自分の状態を正しく把握するのは難しい
運転免許証の返納の一件で感じたのは、自分の状態を正しく把握することの難しさです。当時の状況を考えると、家族の心配はちょっとオーバーに感じましたが、一方で私の見方もかなり甘かったと思います。「まだ大丈夫」というのは根拠がない自信ではなく、それなりの経験に基づくものです。しかし、その経験は所詮、過去のものですから、状況がどんどん変化する中で未来を測るときのモノサシにすべきではありません。