潮井エムコ著『置かれた場所であばれたい』(朝日新聞出版)
潮井エムコ著『置かれた場所であばれたい』(朝日新聞出版)>>本の詳細はこちら

 私にとってしっかり者のマミとの結婚はウハウハのメリットしかないが、私の役立たずっぷりを誰よりもわかっている彼女からすれば、地獄への階段を駆け降りるようなものである。マミはすこぶる嫌そうな表情を浮かべたが、私の片膝をついた渾身のプロポーズに折れ結婚してくれることになった。押せばなんとかなるものである。

 パートナーになった私たちが先生のところに報告に行くと、一枚の紙をもらった。婚姻届だ。コピーとはいえ初めて見るそれに私たちは目を合わせて唾を飲んだ。各々の欄を埋め、友人から証人の署名をもらい再度提出せよと言い渡された私たちは、婚姻届を手に席に戻った。

 手に取ったボールペンが重く感じる。きっと結婚するという社会的な責任の重圧がそうさせるのだろう。共通の友人しかいない教室を見渡し、たまたま近くにいた子たちに証人をお願いした。「幸せになれよ」という言葉とともにもらったサインによって完成した婚姻届は、偽物だが感無量であった。

 隣に座るマミに目をやる。『配偶者の頼りなさに不安でいっぱいです』とでも言いたげな彼女の横顔を見ながら、こんな私についてきてくれるんだから、私がこの子を幸せにするんだという気持ちが芽生えた。

 婚姻届に隅々まで目を通した先生は我々の結婚を承認してくれた。

「おめでとう、そしてこれはあなたたちの子よ」

 次に先生から差し出されたのは、油性ペンで顔が描かれた卵だった。

「元気な男の子ですよ」

 いいえ先生これは生卵です、と言いかけたが真剣な彼女の表情に口をつぐんだ。

「今度はこの子に名前をつけて、あなたたち夫婦の子として面倒を見るのです。これから2週間、二人で分担しながらその子を傷つけずに毎日家に持ち帰り、登校してきたら家庭科室に置いてください」

 なるほど、この生卵を我が子とし、擬似子育て体験をさせようというのだ。

 私たちが受け取ったちいさな命は、精悍な目元と一文字に結んだ口が実に愛らしい。名を「大介」と決めた。

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こうして大介との生活が始まった