「『自分が現地取材をすればそんな状況に加担することになる』と友人ははっきり批判しました。そんなこともあって関心を持つようになったけれど、参考になる本を探しても見つからない。それなら自分で書こうと思ったのです」
取材を始めてみると、日本にもたくさんの「スポーツウォッシング」があり、問題意識は大きくなるばかりだった。
「サッカーワールドカップ・カタール大会の開催時にも、過酷な労働現場が問題にされましたよね。でも当時の日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏は『今はサッカーに集中する時です』と言うだけでした」
日本では人権侵害の報道はわずか。スポーツニュースは日本代表の活躍に埋め尽くされていた。それでいいのか。
西村さんは、競技への集中と人権問題への批判は両立するものだという。事実、欧米の著名なスポーツ選手がはっきりと意見表明することは稀ではない。
「MotoGPでもロシアのウクライナ侵攻があった時には表彰台を獲得した選手がレース後にウクライナ国旗を掲げて走行して自らの姿勢を鮮明にし、それを中継映像でもきちんと伝えていました。日本の中継ではアナウンサーも解説者も黙ったきりでしたが」
日本ではスポーツ選手が自分の意見を言うことを喜ばない空気が確かにある。しかしそれは彼らの人格を認めていないことと同じだろう。
「メディア向けにちゃんと話をしたいと思っている選手はたくさんいます。聴いてもらえないだけですよ」
西村さんの言葉は、〈感動〉を消費するだけのスポーツファンにも向けられているのだ。
(ライター・千葉望)
※AERA 2024年2月5日号