夫の彰さんを過労死で亡くした寺西笑子さん。仏壇に置かれた彰さんの遺影には、好きだったコーヒーを毎朝供えている(写真:本人提供)
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 過労死が増える中、「働き方改革」により、労働環境の改善が進められてきた。だが、過重労働が原因で、健康を損ね、命を失う人は後を絶たない。背景に何があるのか。AERA 2024年2月5日号より。

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「お父さん、はい」

 1996年2月14日朝。出勤する夫の彰さん(当時49)に、バレンタインデーの大きなハート形のチョコレートを手渡したのが、最後の会話となった。翌日未明、夫は自ら命を絶った。

「店長になり、過大なノルマを課せられ、1日12時間を超える長時間労働とパワハラを受けていました」

 寺西笑子さん(75)は話す。

 彰さんは、京都市内の和食チェーンで店長をしていた。バブルが崩壊し、不況で業界全体の売り上げが前年割れとなる中、売り上げを伸ばせと達成困難な売り上げノルマを押しつけられた。宴会のセールスまで命じられ、それでも業績が上がらないと会社経営の社長から連日過度の叱責を受けた。仕事量は増え続け、1日の労働時間は12時間、1カ月で350時間にも上った。亡くなる2カ月くらい前から様子が変わり、覇気がなくなって「眠れない、食べられない」と体調不良を訴えた。

 寺西さんは毎日のように「お父さん、休まなあかん」「休ませてもらい」と言ったが、真面目で責任感の強い彰さんは「人がおらんから、休めへんのや」と言って聞いてくれなかった。そして、うつ病を発症し、子ども2人と寺西さんを置いて、自死した。

「家族を大事にしてくれてたのに何で思いとどまることができなかったのかと夫を責め、何で夫を救えなかったのかと自分を責めました」(寺西さん)

 現代日本の社会問題の一つといわれる「過労死」。1980年代後半、バブル経済の真っ只中に急増した。90年代にバブルが崩壊すると、企業はコスト削減のため賃金の安い非正規雇用を増やし、少なくなった正社員はますます長時間残業に駆り立てられた。それが過労やストレスの原因となり、過労死や健康被害が多発した。こうしたことから2010年代半ば、当時の第2次安倍政権が提唱したのが「働き方改革」だった。14年、過労死対策を「国の責務」と明記した「過労死等防止対策推進法」が制定され、19年には「働き方改革関連法」が施行され時間外労働(残業)は年720時間以内(休日労働含め月100時間未満)とする罰則付きの上限規制が定められた。こうして労働環境の改善が進められたはずが、過重労働が原因で、健康を損ね、命を失う人は後を絶たない。

 昨年9月、宝塚歌劇団の女性(当時25)が自死したのは、過重労働とハラスメントに原因があったと指摘されている。厚生労働省の「過労死等防止対策白書」によれば、過労死につながるうつ病など精神障害になり労災と認定されたのは、22年度は710件と4年連続で過去最多を更新した。10年前の1.5倍だ。

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