実際には、当事者の意見はあまり重視されていないようです。民間レベル、つまり老いに関する各種のビジネスでは、消費者が求める価値を提供するべく当事者の視点がそれなりに大切にされています。しかし、行政サービスや医療、介護など、より切羽詰まった社会的な問題を扱っている多くの場所では、老いの当事者の意見はあまり重視されていないように見えます。

 わかりやすいように、ここでは当事者の視点を「主観視」、観察している側の視点を「客観視」と呼ぶことにします。老いの問題について語るときにも、主観視でなく、客観視が重視されているように見えるのです。

 これはある意味、当然のことです。社会の動き方などたいていのことは、「学」と名のつくものに従っています。これは第三者の立場で俯瞰して全体を眺めている視点、つまり「客観視」によってつくられます。かくいう私も「客観視」を重視してきました。これは失敗学もしかりで、客観視を使うことで初めて、体系的にまとめることができました。

 しかし、それですべて事足りると考えているとすると、それは傲慢そのものです。「○○学」と名のつくものはほとんど客観視によってまとめられているといっても、それらを構成しているのはいわば主観視の積み重ねです。この中身はより多くの主観視を取り込むことで充実していきます。

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