失敗学の視点で老いの問題を見て気付いたこと
失敗学では失敗した当事者の視点を大切にしています。失敗の原因を探るときには、失敗した当事者が、どのような環境、精神状態、身体状況にあって、なにを見ながらなにを考え、どう行動したかに注目しています。その際には当然、失敗の当事者から直接話を聞くことを心がけています。大事故の調査などケースによっては、そのときの答え方次第で失敗当事者が厳しく責任を問われるリスクがあります。そういうときにはだまし討ちのようにならないように、そのことをあらかじめ伝えてから話を聞くようにしています。
失敗の原因を知るには、本当は失敗当事者になんでも正直に話してもらうのが一番です。なので「原因の究明と責任の追及は切り離すべき」ということをかねてから主張しています。別の場所で同様の失敗が起こらないようにするには、ある失敗から得られた知見を社会で共有できるようにしたほうが断然いいからです。しかし日本の法律はそうなっておらず、責任の追及がついて回るので、必然的に失敗当事者は発言に慎重になるのが現実です。
それはさておき、失敗の原因を知る上で、当事者の視点というのはたいへん貴重です。そのときその場所で、見たり考えられたことを手っ取り早く知るにはこれしかありません。そして、同様のことは老いの問題にも言えます。老いると様々な問題が生じますが、そのときなにが起こっているかを一番よくわかっているのは老いの当事者です。その人たちの話を聞くことは、老いの問題とその対処法などを考える上で不可欠ではないでしょうか。