こうした主観視の重要性を説明するとき、私はよくチャールズ・ダーウィンの進化理論(ダーウィニズム)を例に出します。もともとは生物の変異に関する研究について述べたものですが、世の中の様々な社会現象や概念に当てはめて使われることも多く、賛否両論のあるものです。
私の視点は一般的なそれとはやや異なるのかもしれませんが、観察方法や姿勢に見習うべき点があると強く感じています。多くの人の関心は、客観的見方である変化の方向性や法則性のほうにあるようですが、それらは数多くの主観的見方である個別の事例をつぶさに観察することで導かれたものです。仮に一つの例外が新たに見つかったとしたら、方向性や法則性を見直し、場合によっては客観的とされていたそれまでの見方を大きく変えなければならないこともあります。主観視の中には、全体を支配している客観視に対してそれくらい大きな衝撃を与えるものもあることをダーウィニズムは教えてくれているように思っているのです。
そして、こういうことを前提にし、学問であれ社会であれ、本当は主観視を上手に取り込んでいく先にしか進歩はないと考えています。ただし、主観視には扱いが面倒という問題があります。さらには「客観視だけが正しく、信頼に足り得る」と強く思い込んでいる人が多いので、世の中における主観視の扱いはどちらかというと後ろ向きになっています。