原さんが医学部受験を決意したのは高校3年の秋頃になってからだという。
「もともと国語より数学の方が得意だったので、理系かな、というぐらいの意識でした。ただ本当になりたいものなくてどうしようか悩んでいた時に、仲の良かった友達のお兄さんが4浪で医学部に合格した、という話を聞き、『医師になる』という考えが急に降りてきたんです。もちろん現役では無理だとわかっていたのですが、記念受験的に医学部を一校だけ受け、その年は終わりました」
そこから原さんの長い浪人生活がスタートする。
「実は私、6年の浪人生活のうち半分は寮生活をしているんです。まず1浪目はそのお兄さんが通っていた医学系の予備校に通うことにしたのですが、そこは北九州にあり、寮があったので寮に入って勉強することになりました。そこには医師になりたい子たちが集まってくるので、医師になりたいという思いがより強まりました」
社会から隔離された寮生活
予備校の寮とはどんな生活なのだろうか。
「一人一部屋が与えられるのですが、1年目は携帯電話禁止、テレビもない。寮で朝食を食べたら予備校に行き、授業。お昼はお弁当を食べて午後も授業。空き時間は自室だと寝てしまうので予備校の自習室に行っていました」
まるで社会から隔離されているような生活を送っていたことになる。
「友達とは文通をしていました。家族と連絡を取るために、皆公衆電話に並んで電話していましたね。日曜日は授業がお休みなので友達とランチをしに行くのが唯一の楽しみでした。何より同じ環境で一緒に頑張っている仲間がいることが心強くて、きついと思ったことはなかったです」
そんな仲間も、合格すると抜けていく。
「受かる人は勉強ができるから、自分は学力が足りないから落ちるのは当たり前、と受け止めていました。受験は自分との戦いだと思っていてあまり人と比べることはなかったです」
1、2浪目はその寮で過ごし、3回目の受験に失敗後は実家に戻る。
「環境を変えた方がいいんじゃないか、という話になり、予備校も変えて、実家から通うことにしました。新しい予備校に入るので知り合いもいない。また一からのスタートでしたが、同じ教室で年下のお友達ができました」
母親の反応は?
「母は歯科医を辞めて、その頃は祖母の介護をしていました。予備校にいる時間も長かったので、細かくいろいろ言われた記憶はないです。模試の結果などは見せていましたが、特にネガティブなことを言われたことはないです。私が忘れているだけかもしれませんが」
父親は?
「『お父さんの時代と違って今は医学部難しいから数年はかかるよ。私立は倍率も高いし。千晶は高校時代勉強していなかったんだから仕方ない』とよく言っていました」
結局、3浪、4浪、5浪の3年間は実家で浪人生活を続けることになる。
「3浪以上になるともう普通の企業の就職は厳しいんじゃないか、と思いもあり、もはや医学部しかない、と自分を追い込んでいました。多浪の娘が家にいるわけですから両親も周りからいろいろ聞かれることもあったと思いますが、母は『ふわっと説明しておいたわ』と言っていたのを覚えています」
他の人には何か言われた?
「高校の担任の先生には毎年調査書をもらいにいくので、『もう他のところも受けようよ』と毎年すごい言われていましたね」