株式の売買を立会場でしていた時代で、2階のテラスからみた光景が、こどものころにみた青果市場に重なった。機械化される前で「場立ち」と呼ぶ証券会社の売買担当者が千人以上いて、手ぶりで売買し、声が飛び交い、すごい熱気。青果市場も野菜ごとに競り落としていくとき、仲買人が声を張り上げた。符丁も似ていて「やっぱり市場は市場だな」と、胸が騒ぐ。
82年4月に入所。証券会社を会員とする組織で、これも青果市場と似ていた。株式市場部へ配属され、黒っぽい紺の上着を着て立会場を担当。3年目に海外の証券制度などを研究する調査部へ移り、6年目に米ボストン大学へ1年間、留学した。
冒頭で触れた決済管理課長の後、理事長秘書だった2001年に東証が株式会社となって社長秘書へ変わり、04年6月から3年間は上場部長。不祥事などで上場廃止になる企業が相次いで、厳しい時期を過ごすが、07年に執行役員となる。
「取引所の大家」で続く市場との縁 次は兜町に賑わいを
専務になっていた2017年6月、平和不動産へ移籍し、取締役専務執行役員に就任。平和不動産は東京、大阪、名古屋、福岡の証券取引所の建物を所有し、「取引所の大家さん」と呼ばれ、市場との縁は続く。本社や東証がある東京・日本橋兜町は、株式の売買がコンピューター化されたときに立会場から人が消え、賑わいが落ちた。平和不動産の前任社長が賑わいを取り戻すことを掲げ、「右腕となってくれ」と入社を誘われた。その社長が病気で倒れ、2019年12月に社長に就任する。
2021年8月、本社から近い東京メトロ東西線の茅場町駅に地下で直結した複合ビル「KABUTO ONE」が完成した。証券会社などとの共同開発で15階建て。入り口の1階から3階まで吹き抜けにして、金融情報などを発信する電子掲示板を下げている。新規に上場する企業のイベントを開くホールの収容数は約500人、6階以上はオフィスで、賃料の割安さで資産運用会社や金融ベンチャーの誘致に力を入れた。
兜町の再開発では、大手町や丸の内、日本橋と比べると少し「はずれ」になるから、同じことをやっても意味がない。「ここにしかない店」「ここでないとできない体験」を優先し、もう20店くらい、戦略的に誘致したレストラン、スイーツの店などが揃った。3年前まで週末は歩く人の姿がまばらだったが、いまや土日のほうが、そういう店にくる人たちで賑わう。
市場とは全く別の活気。『源流』は、思いもしなかった方角へ、流れ始めている。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2024年1月22日号