日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年 1月22日号より。
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1998年10月23日、バブル期の巨額の融資が焦げ付き、経営が行き詰まった日本長期信用銀行(長銀)は、国会で成立した新法に基づき国に特別公的管理を申請し、一時、国有化された。そこに至る日々、胃に穴が開くような痛みが続く。38歳、東京証券取引所(東証)で決済管理課長をしていたときだ。
長銀の最後の株価は2円。東証の取引の決済は売買が成立した3営業日後で、それが済む前に国有化が判明すると、株式の価値がゼロになったとみた投資家が、買った代金を払わなくなる懸念が強い。証券市場が信頼されるには、代金がきちんと払われて、引き換えに株券が渡されなくてはならない。
代金と株券の交換は、2千以上の銘柄を売買ごとにしていたらたいへんだから、証券会社で同じ銘柄は売買額を相殺したうえで、全銘柄の売買額の差し引き代金を払い、受け取る差額決済だ。普段は粛々と進むが、一つの銘柄でも決済できないと全部が決済できず、日本の証券市場で決済不能(デフォルト)が起きてしまう。戦後、そんな例はなかった。
国有化が決定される6日前、土曜日に東証で緊急招集がかかり、何事かと思っていくと、長銀問題の議論だった。理事長以下の前で「放っておくと、東証初のデフォルトになるので、絶対に阻止します」と明言する。決済を完遂してこそ、公正な取引だ。これは、故郷の愛知県瀬戸市で父たちが運営していた青果市場でも同じ。「取引の公正さ」を追求する父の姿が、土本清幸さんが歩む人生の『源流』となっていた。
深夜に面談へいき危機回避を実らせた監督官庁への訴え
監督官庁だった大蔵省の担当課長へ電話で事情を伝えたが、相手は「長銀の株式だけを除外し、残りを決済してもらえばいいではないか」と言う。理論上は可能でも、膨大な取引数から長銀分を手作業で取り出していたら、数日では不可能だ。押し問答が続いた。
翌日曜日の深夜に大蔵省へいって直接、訴えた。すると「分かった。知恵を出し合おう」と応じてくれた。示された案は、国有化宣言を2日間遅らせて、新たな売買は止め、それ以前の長銀株の売買分の決済を終わらせてから国有化を決める──自分の考えと同じだ。週明けに決済が進み、危機は回避した。2017年6月に平和不動産へ転じるまで35年余りいた東証で、最も強烈な体験だった。