半年後にテキサスに修行に行ったとき、ドリー・ファンクに「テキサスのやつらは相撲を見たことがないから、ぜひスモウマッチをしてくれ」と頼まれてやったんだけど、まわしつけてケツ出して客の前に出るのが恥ずかしかったからね。たった半年でそうなるもんだなあ(笑)。
プロレスでのチャレンジと言えば、やっぱり阿修羅・原と一緒にやった天龍革命だ。新日本プロレスの賑やかなプロレスに人気を取られて、全日本プロレスには客が入らない時期。当時、後楽園ホールで6割くらいだった客の入りを「俺たちでいっぱいにしてやろう!」と、38歳にして初心に返って、ガンガンやったのが一番の挑戦だ。
原動力となったのはプロレスへのコンプレックス。俺は相撲、阿修羅はラグビーを懸命にやってきた自負はあったものの、同じくほかのスポーツをやってきた馬場さん、ジャンボが上手くこなしているのに、俺たちは上手くいかない。
ただただ全力で
相撲もラグビーも一生懸命やっていれば客が乗ってくれたのに、プロレスではそうはいかなかった。プロレスはショーと言ってしまえばそれまでかもしれないけど、観ている客を満足させる方法が、当時の俺たちはわからなくて戸惑ったんだ。
どこかで「プロレスはこんなもの」っていう思いもあったんだろう。だから初心に返って、ただただ全力でやる、それで客が感じてくれればいいって突っ走ったんだ。
それから半年で後楽園ホールを満員にした。今のようにネットやSNSがない時代だったけど、ファンの口コミは本当に早いし、強いなと思ったんだよ。