天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」と「敗血症性ショック」で長らく入院生活を続けていた天龍さん。今回は自宅療養中のところ、“チャレンジ”について語ってもらいました。

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 俺の人生、なかなかチャレンジの連続だったと思うけど、やっぱり13歳で相撲の世界に入ったのが最初の大きなチャレンジだったね。

 俺は農家の長男だから、そのままいけば農地と家督を継げる立場だったんだけど、13歳ながら「60歳、70歳になったときに『相撲にチャレンジしておけばよかった』と後悔したくない」と思ったんだよね。

 それでダメだったら帰ってくればいいと思って、チャレンジすることにしたんだ。

 ところが、相撲部屋の関係者に「うちの息子はデカいよ」と売り込んでいた親父が「うちを継ぐのはお前だから、相撲には行かせない」なんて言い出してね。最後はお袋が「やってみなさい」と言ってOKになった。親父よりお袋のほうが肝が据わっていたよ。

 中学在学中に相撲部屋に入って、1年後くらいに中学を卒業した貴ノ花が二子山部屋に入門してきた。貴ノ花は俺と同い年なんだけど、相撲の世界では俺が1年先輩だ。

 そんな先輩に対して「嶋田君!」なんて気安く呼ぶんだよ。俺は「この野郎、先輩を君づけで呼びやがって」と思ったけど、さすが若乃花の末弟だけあって物怖じしないんだね。

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相撲生活で忘れられないチャレンジは?